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| 【12月18日】 |
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十六世紀、自由都市であった泉州堺の国際貿易商人、高三隆達が町に流行していた唱歌を収集し、歌と歌との情緒の連関をはかって編集した『隆達唱歌』の第一歌である。
ちなみに、つづく第二歌は、
と、なかなか色っぽい。玄人の女性が客と恋に落ちてなやましい。そんな歌曲とともに、君が世は、日本各地やアジア諸国、あるいはポルトガルやスペインからの遠来の客をもてなす宴会で、綺麗どころをあげて謡われていた。
隆達が、君が世の歌を唱歌集の第一歌としたのは、宴会に招かれた客人をことほぐ、もっともポピュラーな歌謡だったからだろう。
その類歌は、遅くとも『古今集』に“読み人知らず”として記載されてから幕末まで、ずっと宴席の歌謡だった。古歌集の“読み人知らず”の多くは共同体に伝わる四季や山川、採物(とりもの)などの祝歌(ほぎうた)である。自由都市が出現するまでの宴会は、結婚や成人の儀礼をふくむ神事の宴会か、貴族や武家、町や村など組織の上役を祝う宴会がほとんどで、前者では「君が世は」、後者では「我が君は」を初句に歌ったというのが歌意にあっている。
「君が世」あるいは「君が代」とは「年寿」(生きて重ねた年)のことで、その歌の源流は、神事の宴席に長老をことほぎ、ともに生きる時代の安寧を願った神歌にあった。だからこそ、この歌は巫女(みこ)筋と関連する芸者衆や遊女衆に歌いつがれ、花町の宴席で女が男に、男が女に共有する時を祝福して、流行する曲調に合わせて謡う賀詞にもなり、謡曲や浄瑠璃、長唄などの一節にもなった。
明治維新のとき、‘ぽっと出’の大山巌が、欧米諸国にある国歌を日本でも制定するから貴賎を問わず親しまれる歌謡を選んでおくようにといわれて、田舎にせよ都市にせよ、宴席でだれもが謡う「君が代」を採録した。
これは砲弾飛び交うアメリカ国歌や女王陛下万歳のイギリス国歌などより、乙な選択だったかもしれず、近代イデオロギーにまみれたしかめっ面の議論に左右されるのも、あまり荘重に歌うのも野暮であろう。
十世紀いらい謡いつがれたこの歌詞の魅力は、決まり文句の「岩ほと成て、苔のむすまで」にある。細かい石が水底にたまり、それが神霊を宿す岩となって苔がむす。その苔に言いしれぬ時間を感じる。
それは欧米の直線時間やヒンドゥーの円環時間、中国の壷中時間などとはちがい、生命がむす(産す)時間である。
その苔には、いのちになりつづける時間が堆積している。しかも、苔むした岩の全景は、昔も今も一挙に重層する「現在」でもある。このような時間感覚にぴったりの時間論が、はるばるインドから中国をこえて到来した。それは大乗仏教の精華を極めた“過去も未来も実体がなく、現在を形成し現在が創出する「只今」(ただいま)があるのみ”とする「過未無体の時間」であった。
その極上の創出的時間論が、この歌謡をすっぽりと包んでいる。 |
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