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 【12月11日】

 

 南北朝の南朝は、吉野にこもっておよそ80年の治世を維持した。その背景には、そこが蔵王権現の信仰の地であったこともあるが、木材と鉱産物があったからであろう。
 南朝を支えた楠氏はそれらを開発して、興福寺が支配していた奈良盆地に乗りだした悪党であった。応仁の大乱をはさんで、吉野の材木は京畿の各地に送り出された。
その需要の拡大によって、材木を筏に組んで吉野川を下る筏業がおこる。
 時の流行歌集、『閑吟集』は、当時の新奇な産業の光景を、たくみに織り込んだ小唄を収録している。
 「吉野川の花筏」は、歌う人の目の前の川を折り重なって流れる桜の花びらを、吉野の筏に見立てている。
 その筏に見たてた桜の花びらは、歌う人の恋心でもある。「浮かれて」はもちろん筏が不安定にふらふら浮かぶよに心がたゆたい、筏師が漕ぐように焦がれている。
 その桜は、蔵王権現の神木でもあるから、権現の加護も願われていた。
 いつしか、花びらに重なって想像されていた吉野の筏は、花びらとともに具現されるようになる。
 吉野の桧や杉を有名にしたのは、桃山時代の大阪城、伏見城などの大建造物の建設ラッシュによる。豊臣秀吉は吉野を制することで桃山時代のインフラストラクチャを整備した。今も高台寺の秀吉の廟は、一面に花筏で飾られている。
 そのようなことは知らず、歌がもたらした光景は歌が忘れられても、水に浮かぶ桜の花びらを見るたびに、熱い愛でさえ無常の流れに身をまかせていく花筏として、再現されつづけてきたのだった。




 

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