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 【11月30日】

 

  陶淵明の生きた時代を思い浮かべるのは難しい。
  三国時代を統一した晋帝国が五胡の乱入によって南遷する。長江の南には、中華に対して南蛮といわれる自立性に富んだ多様な民族文化が展開していた。
  そこに華北から多くの晋朝貴族、遺民が移動してくる。その中華絶対主義の貴族政治は、南蛮文化を山中の僻地に追いやり、あるいは薫化政策によって体制に組みこんだ。
  陶淵明も江西の土着豪族の出身で、南遷した王朝に仕えるのをよしとせず、開墾畑作を指揮する。
  しかし、戦乱と災害のために零落し、ついに文才をもって桓玄に仕え、ついで劉裕将軍の参軍となった。
  その桓玄は晋王朝を簒奪し、劉裕に攻め殺される。劉裕将軍は華北を統一した前秦王朝の南征を水にくいとめ、一時、洛陽を回復。国内の派閥をつぎつぎに滅ぼし、陶淵明が晩年のころ、東晋皇帝に禅譲を迫り、南朝宋の初代皇帝に即位した。
  陶淵明は、つねに揺れ動く。諜報・謀略・作戦の中枢を担う参軍として、乱世の栄達の道に生きるのか、あるいは山中の田園に帰って貧窮をいとわず生きるのか。
  陶淵明は劉裕の参軍になったころ、市中に菊の垣根の庵をつくって住み、人里にあっても役人どもの喧騒に悩むこともないという。どうしてそんなことがありうるのかと問われると、そうさ、心が世俗から遠く離れているために、ここも山中の僻地になってしまうのさ、と答える。
  陶淵明が、弁じようとすると言葉を忘れるといった境地は千年をへて、応仁の大乱の京都に侘び茶の草庵として再現された。市中閑居である。
  言葉をこえたイデアが模型的な光景をミームとして、時をこえて伝わることがあるらしい。




 

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