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| 【11月27日】 |
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平維盛は源平合戦のさなかに、夜中、一管の笛をたずさえて陣を抜け出し、琵琶湖に乗りだして竹生島に渡る。
すべて月光が演出する物影ばかりの景色である。竹生島に近づけば、茂る樹林が湖の澄んだみなもに映りこんでいる。
水中の幻影の樹林の中を実在の魚たちが泳ぎ、その虚実が織り成す世界を、船の上からのぞきこむと、魚が木に登っているように見える。
そして一風吹けば、鏡のような湖面にざわざわと波が立つと、景色はたちまち一変して、たったひとつの天上の月が、見渡すかぎりの波という波のそれぞれに映りこむ。
それは、月の中の幻影の兎が、波のおもおもに、はねとび走っているようだ。
その波に兎の走る光景というものは、時空をかけはなれた釈迦牟尼の説く本質が、もともとだれの心にも映りこんでいるというのと何がかわろうか。
幻影に現実が混じり、現実に幻影が宿る。そのような自然のはたらきが、生きとし生けるものたちの心にもあるからこそ、伝え伝えられることもできるというものである。
この謡いは、いかなる対象もそれ自体ではなく、イメージをはらんで現実を構成していることを巧まず伝える比喩として人口に膾炙した。
それは『大日経』の幻影を観想する「十種観法」によって示される「現」(うつつ)というものであり、
維盛の舟は、幾重にも映りこみあった「現」(うつつ)の唯識世界さなかを渡る、法華一乗の舟と重なっていく。 |
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