人と読書を結ぶ本
〜千夜千冊刊行記念 特別講演『六年千冊七巻仕立』その3
■表現者たちの競演
『千夜千冊』の刊行に向けて、松岡とともに表現の才を揮った人たちがいる。装丁を一手に引き受けた福原義春さんは、資生堂の名誉会長であり、松岡の日本文化に関する活動を支える連志連衆會の会長でもある。1冊ごとに一首の短歌を詠んで伴走した歌人小池純代さんは、松岡が校長を務めるISIS編集学校随一の師範だ。

松岡に招かれて、拍手の中、二人は壇上に上がった。福原さんは深い紺のスーツで、いつもながら粋。小池さんは御召茶の和服、黒地に小菊を刺繍した半襟で、秋の匂いを漂わせる。
松 岡 :書籍化は、福原さんのご提案で始まったのでしたね。
福 原 :こればかりは、どうしても「本」として残すべきだと思いました。出版を求龍堂さんが引き受けて下さったので、即座にアートディレクターとして名乗りを上げました。
松 岡 :装丁は、最初からこのように、色は赤と決めていたのですか?
福 原 :全集の装丁って、たいていは陰気でしょ? 黒地に金箔の字とか、黒地に白字とかね。だから、最初は模様を入れようかと思ったんです。でも、これは書物について書いた本なんだ、だったら「文字」をデザインにすべきだ、余計な模様はいらないと考えるようになりました。タイポグラフィは田中一光さんの「光朝体」を使おうと決めましたが、あの字体は、 拡大すると、少しバランスが崩れるのですね。そこで、中山禮吉さんに手直しをしてもらいました。赤は、資生堂が昔から好んで使ってきた色です。でも、ぺったりした赤じゃない。蘇芳、代赭、日本の伝統色を用いました。

松 岡 :だんだん、「この色しかない」と思うようになりましたよ。ところで、福原さんは、日本でもトップクラスの読書派の企業人ですが、「書評を書く」ということについて、どう思いますか?
福 原 :本を「読む」だけならいいが、それについて「書く」のは大変なことですよ。6年間、千冊について書くなんて、できる人は今後もいないでしょう。本は二読三読すべきだと言われましたが、読む度に、感じることも考えることも違う。その時々の読み方・書き方があってあたりまえなのですね。
松 岡 :その日のコンディションによっても違いますよ。天気や机周りの様子、どんな本の中からその1冊を選んだのか、などということでもね。仕事場で書き切れない時は場を移すのですが、移った先が自宅なのか、喫茶店なのかでも読み方は変わります。持って出たその本に、カバーがかかっていたか、いないか。手に持っていたのか、鞄に入れていたのか。僕はマーキングにVコーンというペンを使うのですが、それが青か赤かでも変わります。読書は多くの襞をもつのです。著者だって、さまざまな角度からテーマを取り上げて書いているのですからね。本によっては、空振りもお手上げもありましたが、それも隠さず書きました。単なる書評ではないというつもりで書きました。
福 原 :折々のコンディションや気持。そのすべてを松岡さん独特の編集術で1冊1冊に組み込んであるから、こんなにおもしろいのですね。
松 岡 :その1冊1冊に短歌を詠んでくれたのが小池純代さんです。
WEBで連載中に詠歌伴走が始まりましたね。いつ頃から始めたんですか?
小 池 :800冊くらいからですね。千夜が近づいてから、全ての本について詠もうという意識が出てきました。1冊目から読みなおして創り始めましたからね。忙しかったですよ。
松 岡 :では、その歌を、1巻につき1首ずつだけ、皆さんに公開解説していただきましょう。

「大正の 雨のかたみの涙点 雨情の唄の なごりの雫」
(第1巻 700夜 『野口雨情詩集』)
小 池 :雨情という人は、童謡作家だくらいに思っていたのですが、千夜千冊を読んで、方法的な人であること、童謡を通して社会に働きかけていたこと、さらにはアナキストであることを知って驚きました。「涙点」というのは、雫のかたちをした傍点です。松岡さんから、印刷用語や造本用語も使うようにと要望されました。
「重力場 つよさよわさの草原に 光量子なる 露ぞ 飛び とぶ」
(第2巻 570夜 『わが相対性理論』)
小 池 :物理用語も使ったらと言われていたのですが、使いたくなくて、やまと言葉や仏教用語に落としこんで凌ごうとしたんですよ。でも、そればかりをやっては、手の内がバレますものね。それで使ってみたら、おもしろかったんです。
松 岡 :いや、サンスクリットというのは、もともと物理用語で書かれているんですよ。仏教と物理が乖離してしまっている現代がおかしいんです。しかし、物理を知らない人が、よくこれだけ詠んだよね。
小 池 :物理の本について書いてあるんだから、しょうがないじゃないですか。選べないんだもの。(笑)
「vanishing point(しらぬひの つくしつくして)
身をつくす疾風逸人(はやちはやと)の 爆音轟音(back on goon)」
(第3巻 469夜 『禅とオートバイ修理技術』)
小 池 :漢字と英語、ルビ芸の限りを尽くしました。何せ、本の題名も『禅とオートバイ修理技術』ですから。
「九十九折 オデュッセイアと綴織 ユリシーズが逢ふ 九九九夜」
(第4巻 999夜 『オデュッセイアー』)
小 池 :技巧的な歌ですが、千夜もこの1冊はホメロスの原点とジョイスの『ユリシーズ』を交錯させていて、超絶技巧なんです。
松 岡 :人や他の書物、図解という読書方法との出会いを挿話として幾重にも重ねながら、『オデュッセイアー』に分け入っていった経緯を書きました。
「この国は おほきな船に みづからの 名前をつけて そして沈めた」
(第5巻 961夜 『戦艦大和ノ最期』)
小 池 :戦艦大和の周りを、「涼月」や「磯風」、「朝霜」などの、ゆかしい名の駆逐艦が囲んでいて、共に自爆していく。それに惹かれて詠みました。
松 岡 :福原さんが100冊の本を選定された時、この本も入れたかったのでしたよね。どうでした、100冊選書されるというのは?
福 原 :もう大変でしたよ。70冊くらいから、後をどれにしようかと迷いが出て、息が苦しくなってきました。
松 岡 :よくわかります。親しい著者からの圧力もかかりますからね(笑)。今度は1000冊に挑戦してください。
「おほやねの てりとむくりは みほとけの うはくちびるの
ゑみにか にたる」
(第6巻 495夜 『てりむくり』)
小 池 :「てり」というのは、神社や銭湯の屋根の反りの部分、「むくり」はふくらんだ部分です。この歌は、文字も「てりむくり」にレイアウトしました。
「くらくらと 暗む 歴史の後ろ闇 神君御免状の 刃渡り」
(第7巻 169夜 『吉原御免状』)
小 池 :これは、松岡さんが、珍しく読むことを強く勧めてらした1冊でしたね。
松 岡 :こうしてみると、短歌とタイプフェイスとの組み合わせというのもおもしろいですね。
小 池 :遊びではなく、「表現」だと思って取り組みました。
松 岡 :福原さんは、いま東京新聞に連載をしておられますが、フォントと言葉についてどう感じていますか?
福 原 :ワープロで打ったもの、新聞の版組になってきたもの、それぞれ読んだ感じが違うことに驚きます。
松 岡 :それぞれを読むたびに、直したくなるでしょ? こういうことをやるのは一種の病人なんでしょうか。(笑)
さて、千夜千冊には、1巻毎に、本を撮ったすばらしい写真が掲載されています。十文字美信さん、こちらへどうぞ(拍手)。1巻につき1枚ずつ、ご一緒に見ていきましょう。


【第1巻 写真】 カバーをはずした岩波文庫の『赤光』。次の写真はめくられた頁の小口がプリーツのように広がって、その1枚ずつに光が入っている。
十文字 :本を撮るのは初めてで、どう撮っていいやらわかりませんでした。
松 岡 :普段は忘れていることですが、本って光が入るんですよね。

【【第2巻 写真】 積み重ねられた厚い本を横から撮っている。接写された手前の本はぼかしが入っている。
松 岡 :特殊なレンズで撮ったわけではないんですね。本の厚みって、こうしてみると不思議ですね。
十文字 :写真を撮るときは、イメージが先行します。そのイメージを撮るんです。


【【第3巻 写真】 ビニールでパックされて、宙に浮かぶ本。大きく広げられて見開き頁を風に翻す本。どちらも蒼く晴れた空をバックにしている。
十文字 :本に対する松岡さんの気持、松岡さんに対する私のイメージを撮りました。本は人が読んでこその存在です。本がはらむ人の気配を撮りたかったんです。
福 原 :こうして見ると、本は生き物ですね。生き物を撮るのが写真家なのですね。
小 池 :歌と写真は、とらえ方が似てると思いました。部分を取り出したり、全体を何かに置き換えたりする表現方法は同じです。
十文字 :本というのは、停まっているものですよね。だから、動いている本を撮りたかった。
松 岡 :毎回場所を変えて、本を持ち出して撮っていましたね。このダンテは湘南海岸でしたよね。

【第4巻 写真】 満開の桜の下、そびえるように立つ『本居宣長』。
松 岡 :これを見た時は、胸が詰りました。
十文字 :『本居宣長』は桜と決めていました。ずいぶん桜を探しましたよ。『本居宣長』の似合う桜と似合わない桜があるんです(笑)。
松 岡 :モノリスみたいに「建って」ますね。
十文字 :本居宣長は、自分のお墓のスケッチを遺してるんです。それをイメージしました。

【第5巻 写真】 文字の一角の大写し。黒白の紙面を赤い栞紐が横切る。
十文字 :これは網点(印刷物の塗りつぶし部分を形成する細かな点)を撮りたかったんです。
松 岡 :網点とはいいですね。栞も実に効果的だ。僕は栞紐が好きなんです。
福 原 :『千夜千冊』も、栞紐を1本にするか2本にするかで揉めましたね。
松 岡 :1本と2本じゃ費用が変わってきますからね。(笑)結局、金と銀の2本を入れてもらいました。

【第6巻 写真】 行灯の点るほの暗い和室に敷かれた布団。半ばめくられた掛け布団の下から、乱れた数冊の本が覗いている。枕の窪みがなまめかしい。
十文字 :やけくそで撮った1枚です。本を抱いていたり、肉体が本に変わってしまったり、そんなことを撮ろうとしたのですが。
松 岡 :「内側の膚」を意識させられるような気がします。土方巽さんがね、生前、僕の処へやって来ては、本を持っていくんですよ。するりと数冊の本を着物の懐へ抱き込んでね。そんな情景も思い出しました。

【第7巻 写真】 『ユリイカ』など、3冊の本を持つ松岡の手のアップ。
十文字 :人の手というものは、持ちなれたものを持つとき、独特の表情を見せるものです。松岡さん、これを撮られたの知らなかったでしょ。
松 岡 :全然気づきませんでした。話の合間に本を並べ換えていた時に撮られたんですね。
皆さんの仕事によって、『千夜千冊』の、そして僕自身の別の貌を引き出していただいたような気がします。ありがとうございました。
自分にとって、『千夜千冊』は終わっていない、むしろ語らねばならないことが増えていく一方だと松岡は言う。3000年の歴史をもつ読書が、現代になっても、アートにも、イベントにも、心理にもなっていない。読書によって自分の中に起きることの多さに驚愕しているのに、それをインタラクション(相互作用)として取り出せるに至っていない。すべての人に取り組んでほしいから、読書というものにひそむものを語り続けたいのだと言う。
1144夜で終わるつもりだった『千夜千冊』の、第二部を松岡は語り始めた。題して「遊蕩篇」。今度はすこしゆっくりと、読むことを、語ることを、遊び愉しんでいるようだ。
編集工学研究所 CORE 堀江久子)