ようやく千夜千冊-vajra's book tour-
- 第六百四十七夜【0647】2002年10月28日
- スーザン・ブラックモア著・垂水雄二 訳『ミーム・マシーンとしての私』上・下
- 2000 草思社

「利己と意味の遺伝子」
でも何とか中国語簡体字の文字コード“GB2312”と日本語漢字の文字コード“JIS(ISO-2022-JP)”の相互変換が可能になり、双方に文字化けなしで携帯メールの送受信できるようになった。PDA端末にセットする音声朗読や自由文の日中携帯翻訳システムさえ出現している。
漢字文化圏といっても、中国と日本では漢字の読み方はもちろん、意味が異なることもある。これは第二百五夜(2001年1月10日)の蘇培成・尹文武傭編『中国の漢字問題』に指摘されていたように、中国の簡体字の整備には新字の発明も含む多くのアイデアが盛り込まれていたが、インターネットの普及によって漢字文化圏における国際コミュニケーションという観点から、中華人民共和国でも簡体字のみを漢字の正系に据えることは見合わされたようだ。
同じ中国人でも、1960年に制定された簡体字を学んでいない高齢者もいれば、シンガポールなどを除くほとんどの華僑社会、香港や台湾では簡体字を用いないから、インターネットでは簡体字とトラディショナルな繁体字の一発変換を可能にするサイトも多い。おかげで“JIS”によって無方針に制限された漢字が日本のパソコン上でも使えるようになったのはうれしい。このような漢字をめぐる諸現象は漢字のコードとモードに関する諸問題をめぐっていたわけだ。
携帯メールでは中国語を入力する面倒もなみなみならないようだ。日本語のローマ字入力と同様に拼音(ピンイン:pīnyīn)で入力するという。拼音はvを除くアルファベットの25字を用い、4声を表す4種のアクセント記号をつけ、隔音符号のアポストロフィーや二字以上の語を分解するハイフォンなどもあって大変そうだ。句点も区切りの「,」、並列の「、」を選択する。慣れれば平気だろうが、拼音を習わなかった世代は苦労する。そこに手書き入力付きの携帯電話が出現し、そのユーザーの伸びが注目されている。
こうした面倒は日本での漢字入力手続きにもある。それがアルファベット圏の3倍もの時間を要するから、日本語のローマ字化を推進しようという短絡的な議論も喧しい。しかし現状の技術の限界によって、日本の文字文化を放棄しようなんていうのも拙速にすぎる。こんなインターネットの記事群をながめていると、メールの打ち込みの音声と文字の関係には文字生成の編集ミームが働いているような気がしてくる。文字を打ち込むたびに、呼吸と身体の振動で情報を発する無文字状態から文字が浮かびあがるプロセスを分節しながら追認しているようでもある。
前回、訪れた千夜千冊の世阿弥元清『風姿花伝』(第百十八夜【0118】2000年8月29日)にあったように、日本には「文字のない文化」だって伝承されうる情報環境が失われてはいなかった。ポランニーの記述不能な「暗黙知」に支えられているという推測も当たっていようが、『風姿花伝』は身体という情報発信源の記述にチャレンジしていたともいえる。
その文字にならない情報体は「情報を発する生命」を基盤として成立していたわけだ。この情報体は世代や地域をこえて伝播できた。これを現代の科学で探求するには物質的遺伝子の情報的根拠ではなく、情報的遺伝子の物質的根拠を探ることにもなる。そんなことを思いながら、千夜千冊の『風姿花伝』のキーワードとなっている「【文字のない文化】の遺伝子」をクリックすると、なんとスーザン・ブラックモア『ミーム・マシーンとしての私』にワープした。
世阿弥の「物学」(ものまね)はジーンとミームをめぐる問題に延長化されていたわけだ。それは生命の当初までさかのぼらないまでも、DNAの複製があって、コピーミスによる多様化がおこり、そこに淘汰がおこる。淘汰がおこるにはなんらかの差異が表現系として現れてきたということだ。差異こそが情報の起源なのだ。
こうして発生する多様な情報体を伝播させ、再生させる「意味情報の基本配列」のようなものが、第千六十九夜(2005年10月26日)のリチャード・ドーキンズ『利己的な遺伝子』に紹介されたミームにあたっている。松岡正剛はブラックモアのミーム論の独創性を、情報としてのミームはそのコードがコピーされるばあいと、そのモードがコピーされるばあいがあると考えたことに見ている。
ここで松岡正剛はスーザン・ブラックモアがミームという概念を用いて「自己」や「私」を解読しようとしたことに異議を差し挟みながら、文化・風習・思考などの要素が複合的に溜まっている「ミーム・プール」というべきものがあって、さまざまなミームが多様な相互作用をおこす「意味の情報体の相互性」を描きだしている。そこでは何かが淘汰されながら、縮退したり、強調され、それぞれが高速の連携をおこしているとする。多様な社会文化は、こうした淘汰によって勝ち残ったミームの集積体ともみなされる。
この「ミーム・プール」はインターネットで囲まれたウェブにやってくる大量の情報群にも投影される。そこにはどんどん情報が溜まり、それらは分類されてポータルを構成し、ユーザの検索と模倣を待っているというわけだ。けれども、はじまったばかりのミーム学ではミームの本質というべき「真似されやすさ」、「ミームにおける誤答率」の問題の検討もなされていないし、情報エントロピーや情報ノイズのかかわりや、ミームを乗せて運ぶヴィークルの検討もはじまっていないとも指摘されている。
なおかつ、ミームのヴィークルの典型は脳だが、多様な脳の相互交流群ともイメージされるミームの群体にどのような役割をおびた情報の集合体が出現しうるかなどといったことは俎上にものぼっていない。このような情報複合状態が文化情報体として認識されたことがあっただろうかと思いながら、漢字の発生における情報問題を想起してみた。
たとえば中国最古の史書『国語』の「周語」、癘王(れいおう:紀元前8世紀)の項に、多様なミーム共有体から情報を収集し国事を決定すべきことが論じられている。「公卿、大夫、士に詩文で意見を献上させ、目がふさがった瞽(こ)に楽曲を献じさせ、史官に記録書を献じさせ、瞳のない盲(もう)に詩を謳わせ、瞳はあるが視力のない盲に記憶を語らせ、百工に助言させ、庶人の言葉を伝えさせ、近臣に正させ、親戚に補佐させ、瞽史から学び、天子の師に戒めさせ、王はこれらの意見を斟酌(しんしゃく)する」という。
これは癘王が悪政をおこなったので、周王朝を支える邵君(しょうくん)が多様な情報を総合して国政を推進するよう諌めた言葉だが、基本的には情報機器に囲まれて多様な情報とつながっている状態をつくることと変わりはない。ここで現代の情報系にないのは「盲」と「瞽」の情報装置だ。瞽の楽曲は神との交信によって得た音楽で表現される情報、盲の詩は古来の歌謡、その記憶は神話や王室の伝承などから来る情報であろう。さらに文字に書かれた記録書を整備する史官と文字に書かれない情報を保持する瞽史があったことが知られる。前者は情報のコード、後者は情報のモードを重視したと推測されよう。
周王朝が衰退し、動乱の春秋時代に向かう最中、中華という精神史を『国語』として読み出した左丘明も盲目だった。左丘明は最後の瞽史の1人かもしれない。瞽盲の情報の読み出し様式が詩文・記録・歴史などの情報のモードとなった。蛇足ながら、孔子は左丘明を批判して儒学を樹立した。儒学はすべての情報を文字たりうる情報と割り切って、人間の知覚が及ばない情報は切り捨て、ヒューマン・フィロソフィーを構成した。そのために左丘明のような瞽史の実像は歴史の闇にかき消されてしまった。
しかし老子は「天道は善を賞し淫を罰す。我は瞽史にあらず、いずくんぞ天道を知らんや」という。これを情報論として捉えると、「善」は情報の組み合わせの最適性、「淫」はある傾向の情報ばかりを選択することだ。そして瞽史ではないから、天道(情報を発生させる道筋)、最初のミームは知りようがないという。現代人がテレビなどの興奮や愉楽を伴う偏った情報に淫して情報編集が混乱しているように、早くも老子は恣意や論理や詭弁をこととする文字情報に淫する危惧を呈した。現代哲学がこのような情報問題に気付くのは、第七十夜(2000年6月14日)に紹介されたマクルーハン『グーテンベルクの銀河系』に論じられた問題提起以降のことだった。
文字が広まった当初、文字化された情報は情報の総体のごく一部でしかなく、人間が知りうる情報世界も未知の情報の海に浮かぶ孤島とみなされていた。西周末期までは未知の情報をも勘案して、情報の読み出しのモードや意味群のコードの配列の最適性を保障する編集プロセスが瞽盲の編集装置として残されていた。これは文字や画像としてすくいあげられた情報から情報そのものの海へと遡行するために残された尾っぽだったともいえよう。その「ミーム・プール」から音声や詩文や事物や画像などの情報を、ミームのモードとコードにそって読み出す“瞽盲に託された編集装置”はミームのヴィークルのピュアなモデルともみなされうるかもしれない。
編集工学研究所GEAR 高橋秀元 研究員








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