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2006年10月27日[ようやく千夜千冊]
【潜んだ日本6】コード・ブレイクのサスペンス
ようやく千夜千冊-vajra's book tour-
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「世阿弥の花」

 インターネットで“exciteニュース”を時折ながめている。このサイトは社会、芸能、経済、政治といったジャンルと並行して、「コネタ」、「びっくり」などの風変わり記事が分類編集されている。9月14日の「コネタ」では桑原滝弥氏ら4人の詩人が催した「詩人類T-shouts! LIVE」というTシャツに詩を染めて朗読するイベント、お帰りムードを高めるCD「閉店の音楽」(CME)の発売、関西の納豆事情などが横並びにきて、「それらしいもの」を連ねる編集の基本だが、一連の逸脱具合がちょっとオカシイ。

 「びっくり」はロイター通信からネタを拾っていて、「第二次大戦中のドイツのスパイは最新ファッション図版に秘密のメッセージを隠して情報を送っていた」が気を引いた。エスピオナージュが好きなせいでもある。英国諜報部が保管していたナチのスパイの暗号をひそませたファッション・プレートが公開されたらしい。プレートに描かれたファッション・モデルのガウン、帽子、ブラウスの刺繍のパターンに、「敵の援軍が一時間ごとに予想される」というメッセージが隠されているという。
ファッションはどれも暗号だと思いながらナチのプレートを眺めるうちに、中学の国語の先生に誘われて出かけた、はじまったばかりの奈良の春日薪能の光景が思い浮かんだ。舞台は低い方形の土壇で、橋掛りや柱、屋根もなく、着物を広げた舞台に後方の闇から朧な影が浮かび上がるようにキャラクラーが登場する。とにかく寒空で舞台の周りに敷き詰めた蓆に火鉢がバラバラ置かれ、その周りの座布団に座っているから、キラキラ光る銀の三角の鱗のような模様の袖が目の前で左右に動きターンする。
 見上げると般若の金色の目の中の周囲の闇と同じくらい深い瞳と視線が合ったようでゾッとする。舞台上の作り物や脇役、オーケストラに乗って聞こえる謡いも春日大社の社殿を覆う大杉の風の暗がりにまぎれている。何が演じられているのか、見当がつかなかった。そのうち、これくらいの断片情報の組み合わせで、ある程度コード・ブレイクできることが分かってきた。能の舞台の置物や面や着物のパターンにはスパイの刺繍のパターンのように解かれることを待っている情報が織り込まれている。
 衣装の鱗模様は蛇の鱗で、何度も脱皮し死んでも甦る怨みの象形なのだ。このような模様を着るキャラクターが現れる演目の中で舞台上に着物を広げておくのは『源氏物語』の病に臥せる葵上の見立てしかない。すると鱗模様に包まれて、狂ったように舞う鬼女は葵上に祟る六条御息所の生霊だったにちがいない。能衣装の模様はキャラクターの心の声を伝える暗号になっている。「能」は様態・姿態の「態」だという。「態」はそれらしく振舞うことで、「態度」は「らしさ」の度合いであって、「態度が悪い」というのは想定された「らしさ」にそぐわないということだ。
能という芸能が現在に至る演劇スタイルを確立したのは観阿弥、世阿弥の功績による。前回に訪れた千夜千冊の第五二十夜、村井康彦「武家社会と同朋衆」に、「阿弥号を持つ観阿弥や世阿弥は、時衆や同朋衆ではなかった」とあった。観世太夫が時衆の法名、観阿弥陀仏を名乗るのは40歳を過ぎてからで、42歳のとき、京都の今熊野宮の祭礼に翁を演じ、これを見物に来た18歳の足利義満が観世太夫、猿若(後の世阿弥)父子の芸に感動して、観世一座を贔屓にしはじめたわけだ。
これを、もう一度“isisサイト”の「千夜千冊」にアクセスして読み直してみると、彼らを足利義満に引き合わせたコーディネーターが時衆の一人だったとある。下賎の芸人を高貴な将軍に紹介しやすいように阿弥号を名乗らせたのだろう。とすれば、阿弥ネットワークはイデオロギーや宗旨で連なるネットワークに比して、“いい加減な”ネットワークだったにちがいないと思いながら、文中のキーワード、「世阿弥」をクリックした。
 すると懐かしい第百十八夜(2000年8月29日)、世阿弥元清『風姿花伝』に移行した。それは「こんな芸術論は世界でも珍しい」の一文ではじまる。何が珍しいかといったら、ボディ・ヴィジュアル・ヴォーカル・サウンドで表現するアートの本質を、テクストを尽くして伝えようとしたことにある、と松岡正剛は言う。
 そのコンセプトは、第一に原型の体験としての「花」。第二に「物学」、すなわち「ものまね」、第三に「幽玄」、第四に稽古による「嵩{かさ}」と生得の「長{たけ}」という品位の設定、第五に家を継承する者が実感する「秘する花」という。これは世阿弥が父の観阿弥という達人のモデルを「生きた型」として書き留めていたとも書かれていた。
『風姿花伝』は明治時代になるまで人目にふれなかった。けれども『花伝書』は身体のモデルとして記憶されたまま、能の家の口伝として継承されてきた。これを松岡正剛は「【文字のない文化】の遺伝子として能楽史を生々流転していた」として、世界にも類例を見ない身体ミームの書と評したわけだ。
 この一書に従えば、能を見るには「ものまね」を、たとえば女、老人、物狂い、修羅、神、鬼になるファクターやフィルターをコード・ブレイクして、ほんとうに「らしい」かどうかを見極めて評さねばならない。しかし能には「似せぬ位」があると言われては、言葉も詰められる。「物学{ものまね}」をしつづけることで、「似せようとしなくともよい境地」が生まれ、それを「似せんと思ふ心なし」という。松岡正剛は、そこに「花を知る」と「花を失ふ」の境地がふたつながら立ち上がってくると締めくくっている。
 これは劇的世界を超えて、原型としての花が時分に従って変容しつづけてきた移ろいそのものを読めということであろう。こんな世阿弥を生み出した文化圏では「ダ・ヴィンチ・コード」くらいでは、ほとんどサスペンスは感じない。サスペンスは「保留」であり、謎が保留されたまま、緊迫を持続するときのドキドキ感なのだ。解かれることによる観念の崩壊へのビクビク感はサスペンスの一端かもしれないが、その本質ではない。
能においては「型」のコード・ブレイクをしつづけると、「型」を発生させるウル・タイプのようなものが浮かびあがるにちがいない。それは情報を発生させる身体そのものに秘められているとも読める。世阿弥は情報のウル・タイプ、「生きる型」を“能という芸”を通じて見せよと言っているのだろう。ならば、これこそ究極のサスペンスというものだ。

編集工学研究所GEAR   高橋秀元 研究員

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