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▲共読日本を編集中!

一つのお題にたくさんの回答と指南が連なる“共読スタイル”を通して、新しい方法に出逢うための学校、編集術の修得とともに共読スキルが格段に上がります。
(110613)
  
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2006年10月 記事一覧
[10/27]
【潜んだ日本6】コード・ブレイクのサスペンス
[10/24]
九州千夜本棚編集解説。
[10/22]
人と読書を結ぶ本
[10/18]
毎夜必“冊”で500夜到達。
[10/17]
人と読書を結ぶ本
[10/14]
人と読書を結ぶ本
[10/14]
『千夜千冊』に編集の極意をみる
[10/10]
第一回「ミメコン」受賞者発表!
[10/07]
「編集思考素」でidea hacks!
[10/04]
ISIS編集学校*なるほど用語集〜その7「校長講義」
 
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2006年10月27日[ようやく千夜千冊]
【潜んだ日本6】コード・ブレイクのサスペンス
ようやく千夜千冊-vajra's book tour-
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「世阿弥の花」

 インターネットで“exciteニュース”を時折ながめている。このサイトは社会、芸能、経済、政治といったジャンルと並行して、「コネタ」、「びっくり」などの風変わり記事が分類編集されている。9月14日の「コネタ」では桑原滝弥氏ら4人の詩人が催した「詩人類T-shouts! LIVE」というTシャツに詩を染めて朗読するイベント、お帰りムードを高めるCD「閉店の音楽」(CME)の発売、関西の納豆事情などが横並びにきて、「それらしいもの」を連ねる編集の基本だが、一連の逸脱具合がちょっとオカシイ。

 「びっくり」はロイター通信からネタを拾っていて、「第二次大戦中のドイツのスパイは最新ファッション図版に秘密のメッセージを隠して情報を送っていた」が気を引いた。エスピオナージュが好きなせいでもある。英国諜報部が保管していたナチのスパイの暗号をひそませたファッション・プレートが公開されたらしい。プレートに描かれたファッション・モデルのガウン、帽子、ブラウスの刺繍のパターンに、「敵の援軍が一時間ごとに予想される」というメッセージが隠されているという。
ファッションはどれも暗号だと思いながらナチのプレートを眺めるうちに、中学の国語の先生に誘われて出かけた、はじまったばかりの奈良の春日薪能の光景が思い浮かんだ。舞台は低い方形の土壇で、橋掛りや柱、屋根もなく、着物を広げた舞台に後方の闇から朧な影が浮かび上がるようにキャラクラーが登場する。とにかく寒空で舞台の周りに敷き詰めた蓆に火鉢がバラバラ置かれ、その周りの座布団に座っているから、キラキラ光る銀の三角の鱗のような模様の袖が目の前で左右に動きターンする。
 見上げると般若の金色の目の中の周囲の闇と同じくらい深い瞳と視線が合ったようでゾッとする。舞台上の作り物や脇役、オーケストラに乗って聞こえる謡いも春日大社の社殿を覆う大杉の風の暗がりにまぎれている。何が演じられているのか、見当がつかなかった。そのうち、これくらいの断片情報の組み合わせで、ある程度コード・ブレイクできることが分かってきた。能の舞台の置物や面や着物のパターンにはスパイの刺繍のパターンのように解かれることを待っている情報が織り込まれている。
 衣装の鱗模様は蛇の鱗で、何度も脱皮し死んでも甦る怨みの象形なのだ。このような模様を着るキャラクターが現れる演目の中で舞台上に着物を広げておくのは『源氏物語』の病に臥せる葵上の見立てしかない。すると鱗模様に包まれて、狂ったように舞う鬼女は葵上に祟る六条御息所の生霊だったにちがいない。能衣装の模様はキャラクターの心の声を伝える暗号になっている。「能」は様態・姿態の「態」だという。「態」はそれらしく振舞うことで、「態度」は「らしさ」の度合いであって、「態度が悪い」というのは想定された「らしさ」にそぐわないということだ。
能という芸能が現在に至る演劇スタイルを確立したのは観阿弥、世阿弥の功績による。前回に訪れた千夜千冊の第五二十夜、村井康彦「武家社会と同朋衆」に、「阿弥号を持つ観阿弥や世阿弥は、時衆や同朋衆ではなかった」とあった。観世太夫が時衆の法名、観阿弥陀仏を名乗るのは40歳を過ぎてからで、42歳のとき、京都の今熊野宮の祭礼に翁を演じ、これを見物に来た18歳の足利義満が観世太夫、猿若(後の世阿弥)父子の芸に感動して、観世一座を贔屓にしはじめたわけだ。
これを、もう一度“isisサイト”の「千夜千冊」にアクセスして読み直してみると、彼らを足利義満に引き合わせたコーディネーターが時衆の一人だったとある。下賎の芸人を高貴な将軍に紹介しやすいように阿弥号を名乗らせたのだろう。とすれば、阿弥ネットワークはイデオロギーや宗旨で連なるネットワークに比して、“いい加減な”ネットワークだったにちがいないと思いながら、文中のキーワード、「世阿弥」をクリックした。
 すると懐かしい第百十八夜(2000年8月29日)、世阿弥元清『風姿花伝』に移行した。それは「こんな芸術論は世界でも珍しい」の一文ではじまる。何が珍しいかといったら、ボディ・ヴィジュアル・ヴォーカル・サウンドで表現するアートの本質を、テクストを尽くして伝えようとしたことにある、と松岡正剛は言う。
 そのコンセプトは、第一に原型の体験としての「花」。第二に「物学」、すなわち「ものまね」、第三に「幽玄」、第四に稽古による「嵩{かさ}」と生得の「長{たけ}」という品位の設定、第五に家を継承する者が実感する「秘する花」という。これは世阿弥が父の観阿弥という達人のモデルを「生きた型」として書き留めていたとも書かれていた。
『風姿花伝』は明治時代になるまで人目にふれなかった。けれども『花伝書』は身体のモデルとして記憶されたまま、能の家の口伝として継承されてきた。これを松岡正剛は「【文字のない文化】の遺伝子として能楽史を生々流転していた」として、世界にも類例を見ない身体ミームの書と評したわけだ。
 この一書に従えば、能を見るには「ものまね」を、たとえば女、老人、物狂い、修羅、神、鬼になるファクターやフィルターをコード・ブレイクして、ほんとうに「らしい」かどうかを見極めて評さねばならない。しかし能には「似せぬ位」があると言われては、言葉も詰められる。「物学{ものまね}」をしつづけることで、「似せようとしなくともよい境地」が生まれ、それを「似せんと思ふ心なし」という。松岡正剛は、そこに「花を知る」と「花を失ふ」の境地がふたつながら立ち上がってくると締めくくっている。
 これは劇的世界を超えて、原型としての花が時分に従って変容しつづけてきた移ろいそのものを読めということであろう。こんな世阿弥を生み出した文化圏では「ダ・ヴィンチ・コード」くらいでは、ほとんどサスペンスは感じない。サスペンスは「保留」であり、謎が保留されたまま、緊迫を持続するときのドキドキ感なのだ。解かれることによる観念の崩壊へのビクビク感はサスペンスの一端かもしれないが、その本質ではない。
能においては「型」のコード・ブレイクをしつづけると、「型」を発生させるウル・タイプのようなものが浮かびあがるにちがいない。それは情報を発生させる身体そのものに秘められているとも読める。世阿弥は情報のウル・タイプ、「生きる型」を“能という芸”を通じて見せよと言っているのだろう。ならば、これこそ究極のサスペンスというものだ。

編集工学研究所GEAR   高橋秀元 研究員

2006年10月24日[千夜千冊という事件]
九州千夜本棚編集解説。
〜青山ブックセンター福岡店で開催中(10/28)まで

 9月17日から始まった「松岡正剛・千夜千冊の九州展」、千夜千冊全集の発刊、そして「九天玄氣組」の発足にあわせてのこのニュースも、今週末はいよいよ大詰です。千夜千冊のすべての夜から抽出した“九州”を、選択→収集→派生させてみせ、松岡正剛の本棚思想にそって再編集した本棚企画の構成を、少し詳しくお伝えしましょう。
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■九州の風になびく5つの樹形図

千夜千冊から取り出した九州ブックコスモスの“幹”はこの5冊。
1.『文明論の概略』福澤諭吉
2.『北原白秋集』北原白秋
3. 『玄語』三浦梅園
4. 『幕末三舟伝』頭山満
5. 『海上の海』柳田国男

 各著書のキーワードを抜き出し“枝”として、さらにホットワードを加えて、“葉”を収集。それぞれ手分けして制作した図解シートを合体させ、その幹―枝―葉が、青山ブックセンター福岡店3Fの本棚面に具現化されたのでした。

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→「千夜千冊・九州 本棚見取図」を見る。

 図でおわかりのように、キーワードはISIS編集学校ではおなじみの「編集思考素型」で構築されています。(だから美しい!)

 「千夜千冊」の九州幹から、あらたな千夜の枝が何本も引き寄せられ、そこから一気に葉を繁らせたのが、今回の本棚。どんな本が棚に並んだのか、ぜひ推理してみてください。
 実際は絶版も多く、揃えるのも大変な作業だったそうです。どうしても外せない本は、「非売品」マーク付で展示という苦労話も。

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ここで何時間も過ごしてしまいそう。本棚作成のためのデータベースファイル「千夜千冊Q集ファイル」も閲覧できます。

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千夜千冊カタログQ天セットや松岡さんデザインのポストカードなどなど、組オリジナルのユニークな商品もならびました。


 福岡の書店の一角に、新しいモードを持ち込んだ九天玄氣組。中野組長は、「千夜千冊にちなんだブックス企画を、書店だけでなく、この先ももっと充実させたい。それぞれの枝をたわわに実らせては種を拡げていきたい」と語っています。アイデアいっぱい、玄氣いっぱいの本棚、さらなる進化形が楽しみです。

青山ブックセッター福岡店

(いと・へん編集長 田中晶子)

2006年10月22日[千夜千冊という事件]
人と読書を結ぶ本
〜千夜千冊刊行記念 特別講演『六年千冊七巻仕立』その3

■表現者たちの競演
 『千夜千冊』の刊行に向けて、松岡とともに表現の才を揮った人たちがいる。装丁を一手に引き受けた福原義春さんは、資生堂の名誉会長であり、松岡の日本文化に関する活動を支える連志連衆會の会長でもある。1冊ごとに一首の短歌を詠んで伴走した歌人小池純代さんは、松岡が校長を務めるISIS編集学校随一の師範だ。

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松岡に招かれて、拍手の中、二人は壇上に上がった。福原さんは深い紺のスーツで、いつもながら粋。小池さんは御召茶の和服、黒地に小菊を刺繍した半襟で、秋の匂いを漂わせる。

松 岡 :書籍化は、福原さんのご提案で始まったのでしたね。
福 原 :こればかりは、どうしても「本」として残すべきだと思いました。出版を求龍堂さんが引き受けて下さったので、即座にアートディレクターとして名乗りを上げました。
松 岡 :装丁は、最初からこのように、色は赤と決めていたのですか?
福 原 :全集の装丁って、たいていは陰気でしょ? 黒地に金箔の字とか、黒地に白字とかね。だから、最初は模様を入れようかと思ったんです。でも、これは書物について書いた本なんだ、だったら「文字」をデザインにすべきだ、余計な模様はいらないと考えるようになりました。タイポグラフィは田中一光さんの「光朝体」を使おうと決めましたが、あの字体は、 拡大すると、少しバランスが崩れるのですね。そこで、中山禮吉さんに手直しをしてもらいました。赤は、資生堂が昔から好んで使ってきた色です。でも、ぺったりした赤じゃない。蘇芳、代赭、日本の伝統色を用いました。

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松 岡 :だんだん、「この色しかない」と思うようになりましたよ。ところで、福原さんは、日本でもトップクラスの読書派の企業人ですが、「書評を書く」ということについて、どう思いますか?
福 原 :本を「読む」だけならいいが、それについて「書く」のは大変なことですよ。6年間、千冊について書くなんて、できる人は今後もいないでしょう。本は二読三読すべきだと言われましたが、読む度に、感じることも考えることも違う。その時々の読み方・書き方があってあたりまえなのですね。
松 岡 :その日のコンディションによっても違いますよ。天気や机周りの様子、どんな本の中からその1冊を選んだのか、などということでもね。仕事場で書き切れない時は場を移すのですが、移った先が自宅なのか、喫茶店なのかでも読み方は変わります。持って出たその本に、カバーがかかっていたか、いないか。手に持っていたのか、鞄に入れていたのか。僕はマーキングにVコーンというペンを使うのですが、それが青か赤かでも変わります。読書は多くの襞をもつのです。著者だって、さまざまな角度からテーマを取り上げて書いているのですからね。本によっては、空振りもお手上げもありましたが、それも隠さず書きました。単なる書評ではないというつもりで書きました。
福 原 :折々のコンディションや気持。そのすべてを松岡さん独特の編集術で1冊1冊に組み込んであるから、こんなにおもしろいのですね。

松 岡 :その1冊1冊に短歌を詠んでくれたのが小池純代さんです。
WEBで連載中に詠歌伴走が始まりましたね。いつ頃から始めたんですか?
小 池 :800冊くらいからですね。千夜が近づいてから、全ての本について詠もうという意識が出てきました。1冊目から読みなおして創り始めましたからね。忙しかったですよ。
松 岡 :では、その歌を、1巻につき1首ずつだけ、皆さんに公開解説していただきましょう。

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「大正の 雨のかたみの涙点 雨情の唄の なごりの雫」
  (第1巻 700夜 『野口雨情詩集』)

小 池 :雨情という人は、童謡作家だくらいに思っていたのですが、千夜千冊を読んで、方法的な人であること、童謡を通して社会に働きかけていたこと、さらにはアナキストであることを知って驚きました。「涙点」というのは、雫のかたちをした傍点です。松岡さんから、印刷用語や造本用語も使うようにと要望されました。

「重力場 つよさよわさの草原に 光量子なる 露ぞ 飛び とぶ」
  (第2巻 570夜 『わが相対性理論』)

小 池 :物理用語も使ったらと言われていたのですが、使いたくなくて、やまと言葉や仏教用語に落としこんで凌ごうとしたんですよ。でも、そればかりをやっては、手の内がバレますものね。それで使ってみたら、おもしろかったんです。
松 岡 :いや、サンスクリットというのは、もともと物理用語で書かれているんですよ。仏教と物理が乖離してしまっている現代がおかしいんです。しかし、物理を知らない人が、よくこれだけ詠んだよね。
小 池 :物理の本について書いてあるんだから、しょうがないじゃないですか。選べないんだもの。(笑)

「vanishing point(しらぬひの つくしつくして)
 身をつくす疾風逸人(はやちはやと)の 爆音轟音(back on goon)」
  (第3巻 469夜 『禅とオートバイ修理技術』)

小 池 :漢字と英語、ルビ芸の限りを尽くしました。何せ、本の題名も『禅とオートバイ修理技術』ですから。

「九十九折 オデュッセイアと綴織 ユリシーズが逢ふ 九九九夜」
  (第4巻 999夜 『オデュッセイアー』)

小 池 :技巧的な歌ですが、千夜もこの1冊はホメロスの原点とジョイスの『ユリシーズ』を交錯させていて、超絶技巧なんです。
松 岡 :人や他の書物、図解という読書方法との出会いを挿話として幾重にも重ねながら、『オデュッセイアー』に分け入っていった経緯を書きました。

「この国は おほきな船に みづからの 名前をつけて そして沈めた」
  (第5巻 961夜 『戦艦大和ノ最期』)

小 池 :戦艦大和の周りを、「涼月」や「磯風」、「朝霜」などの、ゆかしい名の駆逐艦が囲んでいて、共に自爆していく。それに惹かれて詠みました。
松 岡 :福原さんが100冊の本を選定された時、この本も入れたかったのでしたよね。どうでした、100冊選書されるというのは?
福 原 :もう大変でしたよ。70冊くらいから、後をどれにしようかと迷いが出て、息が苦しくなってきました。
松 岡 :よくわかります。親しい著者からの圧力もかかりますからね(笑)。今度は1000冊に挑戦してください。

「おほやねの てりとむくりは みほとけの うはくちびるの 
ゑみにか にたる」
  (第6巻 495夜 『てりむくり』)

小 池 :「てり」というのは、神社や銭湯の屋根の反りの部分、「むくり」はふくらんだ部分です。この歌は、文字も「てりむくり」にレイアウトしました。

「くらくらと 暗む 歴史の後ろ闇 神君御免状の 刃渡り」
  (第7巻 169夜 『吉原御免状』)

小 池 :これは、松岡さんが、珍しく読むことを強く勧めてらした1冊でしたね。
松 岡 :こうしてみると、短歌とタイプフェイスとの組み合わせというのもおもしろいですね。
小 池 :遊びではなく、「表現」だと思って取り組みました。
松 岡 :福原さんは、いま東京新聞に連載をしておられますが、フォントと言葉についてどう感じていますか?
福 原 :ワープロで打ったもの、新聞の版組になってきたもの、それぞれ読んだ感じが違うことに驚きます。
松 岡 :それぞれを読むたびに、直したくなるでしょ? こういうことをやるのは一種の病人なんでしょうか。(笑)

さて、千夜千冊には、1巻毎に、本を撮ったすばらしい写真が掲載されています。十文字美信さん、こちらへどうぞ(拍手)。1巻につき1枚ずつ、ご一緒に見ていきましょう。

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【第1巻 写真】 カバーをはずした岩波文庫の『赤光』。次の写真はめくられた頁の小口がプリーツのように広がって、その1枚ずつに光が入っている。

十文字 :本を撮るのは初めてで、どう撮っていいやらわかりませんでした。
松 岡 :普段は忘れていることですが、本って光が入るんですよね。

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【【第2巻 写真】 積み重ねられた厚い本を横から撮っている。接写された手前の本はぼかしが入っている。

松 岡 :特殊なレンズで撮ったわけではないんですね。本の厚みって、こうしてみると不思議ですね。
十文字 :写真を撮るときは、イメージが先行します。そのイメージを撮るんです。

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【【第3巻 写真】 ビニールでパックされて、宙に浮かぶ本。大きく広げられて見開き頁を風に翻す本。どちらも蒼く晴れた空をバックにしている。

十文字 :本に対する松岡さんの気持、松岡さんに対する私のイメージを撮りました。本は人が読んでこその存在です。本がはらむ人の気配を撮りたかったんです。
福 原 :こうして見ると、本は生き物ですね。生き物を撮るのが写真家なのですね。
小 池 :歌と写真は、とらえ方が似てると思いました。部分を取り出したり、全体を何かに置き換えたりする表現方法は同じです。
十文字 :本というのは、停まっているものですよね。だから、動いている本を撮りたかった。
松 岡 :毎回場所を変えて、本を持ち出して撮っていましたね。このダンテは湘南海岸でしたよね。

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【第4巻 写真】 満開の桜の下、そびえるように立つ『本居宣長』。

松 岡 :これを見た時は、胸が詰りました。
十文字 :『本居宣長』は桜と決めていました。ずいぶん桜を探しましたよ。『本居宣長』の似合う桜と似合わない桜があるんです(笑)。
松 岡 :モノリスみたいに「建って」ますね。
十文字 :本居宣長は、自分のお墓のスケッチを遺してるんです。それをイメージしました。

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【第5巻 写真】 文字の一角の大写し。黒白の紙面を赤い栞紐が横切る。

十文字 :これは網点(印刷物の塗りつぶし部分を形成する細かな点)を撮りたかったんです。
松 岡 :網点とはいいですね。栞も実に効果的だ。僕は栞紐が好きなんです。
福 原 :『千夜千冊』も、栞紐を1本にするか2本にするかで揉めましたね。
松 岡 :1本と2本じゃ費用が変わってきますからね。(笑)結局、金と銀の2本を入れてもらいました。

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【第6巻 写真】 行灯の点るほの暗い和室に敷かれた布団。半ばめくられた掛け布団の下から、乱れた数冊の本が覗いている。枕の窪みがなまめかしい。

十文字 :やけくそで撮った1枚です。本を抱いていたり、肉体が本に変わってしまったり、そんなことを撮ろうとしたのですが。
松 岡 :「内側の膚」を意識させられるような気がします。土方巽さんがね、生前、僕の処へやって来ては、本を持っていくんですよ。するりと数冊の本を着物の懐へ抱き込んでね。そんな情景も思い出しました。

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【第7巻 写真】 『ユリイカ』など、3冊の本を持つ松岡の手のアップ。

十文字 :人の手というものは、持ちなれたものを持つとき、独特の表情を見せるものです。松岡さん、これを撮られたの知らなかったでしょ。
松 岡 :全然気づきませんでした。話の合間に本を並べ換えていた時に撮られたんですね。
 皆さんの仕事によって、『千夜千冊』の、そして僕自身の別の貌を引き出していただいたような気がします。ありがとうございました。

自分にとって、『千夜千冊』は終わっていない、むしろ語らねばならないことが増えていく一方だと松岡は言う。3000年の歴史をもつ読書が、現代になっても、アートにも、イベントにも、心理にもなっていない。読書によって自分の中に起きることの多さに驚愕しているのに、それをインタラクション(相互作用)として取り出せるに至っていない。すべての人に取り組んでほしいから、読書というものにひそむものを語り続けたいのだと言う。

 1144夜で終わるつもりだった『千夜千冊』の、第二部を松岡は語り始めた。題して「遊蕩篇」。今度はすこしゆっくりと、読むことを、語ることを、遊び愉しんでいるようだ。


編集工学研究所 CORE  堀江久子)

2006年10月18日[千夜千冊という事件]
毎夜必“冊”で500夜到達。
〜千夜千冊アーカイヴス 500冊記念イベント『一人一冊』

 9月30日、紀伊國屋ホールで行われた「『千夜千冊』刊行記念講演・六年千冊七年仕立」は、おかげさまで満員御礼の大盛況となりました。『千夜千冊』全集を予約された方は、そろそろ届いている頃でしょうか?
 さて、編集工学研究所は、いままでにも「千夜千冊」にまつわる数々のイベントの模様をWEB上で公開してきました。今回はそうした過去のイベントのコンテンツをご紹介いたします。“温故知新”とは月並みな言葉ではありますが、故(ふる)きを温(たず)ねる良いきっかけになれば幸いです。

 月間アクセス数160万を超えたWebサイト「千夜千冊」。最近になって初めて「千夜千冊」を知り、『遊蕩篇』の「連環リンク」をたどりながら、あまりに膨大な千夜千冊アーカイヴを渉猟・遊学している方も多いかと思います。「千夜千冊」は、取り上げた本の書評にとどまらず、執筆時のリアルタイムでの出来事をそのまま書き込んでいることもしばしば。第504夜のジョルジュ・ペレック『考える・分類する』では、500冊達成記念イベント『一人一冊(いちにんいっさつ)』について触れています。このイベントは2002年3月26日、東京・銀座のソニービル8階 ソミドホールで開催されました。
 巨大な本が躍動する迫力のオープニング・ムーヴィー。千夜千冊の一節をスクリーンに大写しにし、松岡自身が読み上げながら解説を加える快速ブック・レビュー。斬新なスタイルを取り入れたこのブック・パーティーは、150席の会場に400人を越す人々が詰め掛け、熱気と興奮冷めやらぬうちに終わりました。このスタイルは、後に開催する連塾などのイベントにも引き継がれ、編集工学研究所にとってもエポック・メイキングな出来事となりました。

 『一人一冊』で松岡はどのように語り、またどのような人びとが駆けつけたのか? 詳細レポートは、こちらのサイトでご覧いただけます。
 http://www.eel.co.jp/01_pier/02_feature/senya01.html 

 この日の模様を画像とテキストだけでなく、動画と音声で全て知りたい! という方は、impressTVの「セイゴオぶひん屋」に順次出品中の有料コンテンツ「舞台放談『一人一冊』」をぜひご覧ください(「天鵞絨(びろうど)」の下部にあります)。
 
 セイゴオぶひん屋
 http://impress.tv/im/article/sgb/


(編集工学研究所GEAR 興梠証 editor)

2006年10月17日[千夜千冊という事件]
人と読書を結ぶ本
〜千夜千冊刊行記念 特別講演『六年千冊七巻仕立』その2

■七巻 部立巡り

  一夜に一冊ずつ、さまざまな本について書き続けることは、苦労であり、楽しみであり、新たな発見の連続だったと松岡は言う。
  昨日とはまるで違う本との出会いを重ねるにつれ、著者が費やした月日と対決していることが実感されて、どんな本も他の何かと比較できるものではない、おろそかにできるものではないという気になった。
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  その一冊も、ニ読三読するたびに印象と感想と思索が変わる。一読しただけでは足りないこと、少なくとも2回以上読まなくては深みに入っていけないことが解ってくる。
  さらに、同じ本でも、単行本から文庫本に変わることで、サイズ・紙質・字体・行間・行長・ルビや解説の有無が変わる。それが読書のコンディションを左右することも身に沁みた。
7巻74章の部立には、そうした日々の積み重ねが息づいている。

●第1巻 遠くからとどく声
松岡の中にあるノスタルジー。その琴線を震わせる本を寄せた巻。

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第1章 銀色のぬりえ
  幼い頃、引き出しに仕舞い込んだまま忘れていたモノ、脇見を許されずに道端に置いてきてしまったモノ。大人になってからそっと取り出して、色を塗ってあげたくなるモノたち。第31夜 中勘助の『銀の匙』に始まる。
第2章 少年達の行方
  頁の間で縦横に活躍するヒーロー。ハックルベリィ・フィンやアルセーヌ・ルパンたち。彼らが、哀しげに、そして誇らかに抱える「負のヒーロー」と「友のヒーロー」の一面。
第3章 リボンの恋
  樋口一葉の『たけくらべ』にはじまる「けなげ」と「邪険」とは何か。幼いときから臈たけているのに、成長してもあどけない少女の不思議。
第4章 声が出る絵本
  絵の中から言葉がわき上がる本、言葉の中から絵が浮かび上がる本。それらは、セイゴオ少年の記憶の中にどう残ったのか。
第5章 遠方からの返事
  1章から4章までが「個」の記憶なら、この章からは「類」の記憶をめぐる本が並ぶ。5章は、「類が共有する記憶とは」という問いに、ダンセイニ、上田秋成、プーシキン、折口信夫らの作家たちが答えた作品群だ。第80夜J・G・バラード『時の声』は、松岡が唯一シナリオ形式で書いた一冊。
第6章 時の連環記
  時象はひとつの社会の中で周っている。第983夜 幸田露伴の『連環記』は、終末のないタオイズムが基盤にある。文学の中の「時」をどう読むか。子規・漱石・鏡花・荷風からサン・テグジュペリ、カルヴィーノまでがずらりと並ぶ。
第7章 行きずりの日々
  プルーストを嚆矢とした大人たちの一瞬の擦過の経験。どんなに短く小さくとも、胸の底で生涯たゆたう出来事の数々。
第8章 歌が降ります
  詩人・歌人を採りあげた1章。斉藤茂吉から俵万智まで、北原白秋から寺山修司まで。それぞれの詩歌や俳諧の一節がヘッドラインになっている。
第9章 ノスタルジアの風味
  生まれ育った郷、旅先の見知らぬ町、食べ物、言い伝え。思わぬ場やモノに、ひとは甘くもの哀しい感情を抱く。ノスタルジアとは何かを問うて、タルコフスキーに極まる。
第10章 忘れがたい町
  一筋の路地、一軒の店、あの人の居る家。銀座米田屋、本郷菊坂ホテル、池袋モンパルナス。忘れがたい町には、忘れがたい場所がある。
第11章 方舟みちあふち
  意識の中へ、遠くからふいにやってくるものがある。『百代の過客』が、三千世界が、稲垣足穂の『一千一秒物語』や、牧野真一の『淡雪』や、澁澤龍彦の『うつろ舟』という方舟に乗って。

●第2巻 猫と量子が見ている
科学に関する本を集めた巻。視角によって、あるいは自分を対象とするかどうかで変わる、科学の底深さと幅広さ。

第1章 理科の黒板
  学校の黒板に描いたような理科の世界。草木虫魚、乾電池、レンズ、田宮模型などが、少年たちは大好きだ。和名だけを用いて『日本の星』を綴った野尻抱影は、獅子座流星群を見て天体学を志した少年だった。
第2章 モナドと戦争
  アリストテレスの昔から、人は、あらゆる知識を得ること、分類して系統づけること、正確に伝えることに情熱を傾けてきた。WEBがどんなに発達しても、982夜 荒俣宏『世界大博物図鑑』の絢爛たる世界には及ばない。博物に対する情念の結晶世界。
第3章 数学的自由
  「1+1=2が数学なのではない。その式があることが数学なのだ。<ゲーデル>」。式の答えがいつも同じとは限らない。同じでなくともかまわない。岡潔が譬えた春のスミレの花のように「それになる」ことが大切なのだ。「科学は数字で書かれた物語である。<ガリレオ>」。
第4章 光と量子の物理学
  西洋で生まれた理学に、日本の知者はあえかな色を刷く。奥でハンケチをたためるほどに間があるのだと、素粒子を説明した湯川秀樹のように。ヒナにくちばしで餌をやる如く、エレガントに物理を説いた朝永振一郎のように。
第5章 時空をつくる紐
  「時空」はある二点を結んだ時に生まれ、観測点を置くことで範囲を変え、エントロピーに秩序がもたらされる。エレガントな宇宙に飛び出した、ホーキングからM理論におよぶノンリニアの読書。
第6章 地上の出来事
  人の世界が宇宙に広がる一方で、地球上では何が起きているのか。『鉱物』や『化石』や樹木が太古の物語をひっそりと伝える一方で、沈黙する春は単なるエコロジーでは解決できなくなっている。
第7章 ジーンとミーム
  遺伝子と意伝子は、内外の風土と環境によって左右される。それでも生命は『オートポイエーシス』。自己調整し自律しながら、外界との境界を随時に設定して生きていく。
第8章 虫の耳・象の胸
  生物は、生きていくための機能を、いつ選択し、どう作り出したのだろうか。笹を掴むために発生した『パンダの親指』(グールド)、人間社会の中で存在を拡大するカラス。生物は独自で生まれるのではない。フォン・ユクスキュルが指摘したように、環境から型抜きされて生まれるのだ。
第9章 人間事始め
  直立二足歩行を始め、発情期を失くし、胎内期間も養育期間も長くなる。生存するために医薬が必要になって、さらには心を病む。生物的システムを狂わせることで、ヒトは『人間というこわれやすい種』(ルイス・トマス)になった。
第10章 オブリックな複雑系
  オブリックとは「斜め」であること。カマキリの生殖と神話、破滅と聖性、蘭と人間界。生物−人、理科−文科を分かつことなく自在に引かれる対角線がある。カイヨワの『斜線』が生み出す編集という方法が乱舞する1章。

●第3巻 脳と心の編集学校
編集に関わるメソッドの収集。

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第1章 あいづち俳句
  「あいづち」のうち方ひとつで文章の活き死にが決まる。「句読点」の打ちどころひとつで意味の重みがずれる。芥川龍之介・西脇順三郎・米原万里など、名手の作品に実例を見る。
第2章 文字の国の消息
  文字は場をつくり、記憶を秘める。かつては、1つの言葉が1つのフォントで表されていた。日本人は、漢字から万葉仮名やひらかなを創り出した。『千字文』や連歌などの文字と言葉の遊びを失い、中途半端な外国語を多用する今日、『消えゆく言語たち』を惜しむ人が、どれほどいるだろう。三浦梅園と白川静を論じた。
第3章 声と手のテクスト
  文字の誕生によって、グーランの『身振りと声』が言語に写しとられていく。オングの『声の文化と文字の文化』が分離する。マクルーハンの問題提起をめぐった1章。
第4章 脳の現象学
  メルロ=ポンティとベイトソンに始まり、ペンローズとミンスキーを経て、津田一郎に及ぶ。印刷技術の成立によって生まれた「黙読」は、言語と理解の間に微妙なズレを呼んだ。この空隙は何だろう。その間に生じたものは何だろう。デネットの『解明される意識』の限界を問う。
第5章 あやしい意識の正体
  リテラシーが発達するほどに、意識の中の文字では説明しきれない部分も肥大していく。その乖離のツケは、『椅子がこわい』(夏樹静子)ほどの腰痛や、『24人のビリー・ミリガン』(ダニエル・キイス)というかたちで噴出する。いったい「心理」とは何なのか。ジャック・ラカンとスラヴォイ・ジジェクを採りあげ、ジョン・C・リリー、ティモシー・リアリーに至る。
第6章 書物と本棚の悦楽
  今からおよそ1600年前、地中海の沿岸に、49万冊とも70万冊ともいわれる膨大な書籍を納めた図書館が建設された。『知識の燈台』アレクサンドリア図書館である。古来、人はすべての問いに対する答えを書物の中に求めてきた。本を熱愛した人々を列挙した1章。
第7章 エディターの仕事
  書店とレストランをひとつにした松岡虎王麿の『南天堂』。広告をひとつもとらなかった花森安治の『暮しの手帖』。歴象をひとつずつ孤立させず、連鎖を浮き彫りにして見せた『日本文化総合年表』。名編集者たちの仕事をたどる。
第8章 物語という秘密
  「スター・ウォーズ」の下敷きには、英雄伝説や神話がある。世界各国にシンデレラの物語がある。人は何かを伝えたくて、語り出すのだ。どんな書物も物語である。どんな物語にも原型がある。ジョゼフ・キャンベルに依拠した松岡ナラトロジーの解説
第9章 情報ネットワーキング
  パソコンや携帯があれば、知識を得ることも、経済を動かすこともできる。誰でも意見が伝達できるし、交換もできる。人類の多年の夢が実現する一方で、自らは何も学ばず生み出さず、他者の情報をコピー&ペーストするだけの人種が増えていく。ディックの『ヴァリス』を問うて、ニールセンの『ウェブ・ユーザビリティ』の安易をゆさぶる。
第10章 イメージの劇場
  記憶を伝達するために、人はさまざまな方法を模索してきた。一枚の絵にあらんかぎりの意味をこめたウィトカウアーの名著『アレゴリーとシンボル』、物語を再生するイエイツの傑作『世界劇場』。伝承の方法を求めて、かたちが誕生する。ラストに杉浦康平論をおいた。

●第4巻 神の戦争・仏法の鬼
モーゼからタリバンへ、ダンテからゲバラへ。宗教と文明の相克と、暴力と犠牲者の隠匿。

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第1章 闇と一神教
  『旧約聖書ヨブ記』からプラトンの『国家』へ。モーセが広めた父系の一神教ユダヤ教は、地母神を闇に追いやった。それでも、そこから生まれたキリスト教は、衰退のたびにマリア信仰に救われる。かたちを変えても、決して消えることのない『母権制』。圧巻ホメロスの『オイディプス王』を中心に据えた、神と戦争のための劈頭の1章。
第2章 空と浄土と千年王国
  アウグスティヌスの『三位一体論』、『アンチ・キリスト』の異様。父と母、光と闇が常に相反する西洋に対し、東洋は全てが渾然と溶けあう。戦闘の後の「千年王国」を予言したヨハネ。「五大にみな響きあり」と説いた空海。
第3章 神曲と方丈記
  宗教の差異を端的に表すのが言語の芸術である。地獄・煉獄・天国の「構造」を、微に入り細を穿って説明したダンテの『神曲』。ゆく川の「流れ」を詠って、無常を見据えた長明の『方丈記』。
第4章 啓蒙のサロン・結党のクラブ
  シェイクスピア、ホッブス、パスカル、スピノザ、ヴォルテールが並ぶ。宗教と政治から生まれた言語は、外部に新たな場を得ていく。貴婦人が営む『ヨーロッパのサロン』は、文壇の基盤となった。英国で生まれた会員制クラブ『コーヒーハウス』は、近代の政治・経済の発祥点となった。
第5章 外套・白鯨・カラマーゾフ
  宗教と政治から独立した言語は「文学」を誕生させた。ゴーゴリの『外套』で人間の卑小に視線をあて、スタンダールの『赤と黒』で体制を批判して、ジェイムズの『ねじの回転』で恐怖の深淵の表皮をほのめかせ、リルケの『マルテの手記』で都市の暗部と人の孤独に分け入る。極めつけは、やっぱりドストエフスキーとポオである。
第6章 主人のいない思想
  思想はますます創造力に溢れてゆく。しかし、そこには「神」や「王」、「英雄」という主人は存在しない。アナキズムやマルクス主義、ラスキンやシュペングラーの歴史芸術論が台頭し、トロツキーやロープシンらの革命家たちは暗殺され、また自殺する。残った主人公は、無知で卑賎な魯迅の『阿Q正伝』だ。近代国家の矛盾が拡大する。
第7章 存在と方法を問う
  主を見失った世界で、「存在」の方法を問う新しい哲学が発生した。ハイデガーとハンナ・アレントだ。時を同じくして、信仰と愛情の狭間で苦悩し、死を選ぶ女性を描いたジッドの『狭き門』、太陽が照りつけていたから殺人したカミュの『異邦人』が世を問うた。そして、世界の砕け散る音を聞いたミショーの詩と、起こらない何かを待ち続けるベケットの演劇で、20世紀前半が暮れていく。
第8章 ゲリラと大衆
  先進国で思想だけが発達していく一方で、後進国では闘いと革命が続く。民族の独立と尊厳を得るために闘い、同人種に殺害されたチェ・ゲバラ、マルコムX。大衆の中で「特定」の人として存在するとは、どういうことなのか。大衆が実権をにぎる西欧に、彼らは何を見、何を求めていたのか。国と大衆との関係とは何なのか。オルテガ、フォークナー、マルケスの巨魁が加わる
9章 脱近代・脱構築
  近代化とは、社会を構築化・機械化することであり、そこからはみ出したものを、異常・未開と決めつけることだったのだろうか。悲しいのは、レヴィ=ストロースの熱帯だけではない。「秩序」を持ち込んでしまったブラトーヴィッチの『赤いおんどり』の村であり、ミラン・クンデラのチェコなのだ。従来のあらゆる規範を『反解釈』(ソンタグ)して、フーコーやドゥルーズのポストモダンが語られ始めた。松岡正剛と中沢新一の違いも明らかになる。
第10章 文明の衝突?
  人工的に造られた東欧・中東の国々。そこでは今日も紛争が絶えない。自らも人工国家であるアメリカの、国意求心のための介入が要因であることは否めない。ハンチントンの『文明の衝突』がおこっているのだろうか。しかし原因はそれだけだろうか。国境では線を引ききれないナショナリズムを、チョムスキー、アンダーソン、ネグリ、大澤真幸、ノージックを通して検証する。

●第5巻 日本イデオロギーの森
日本というもの、日本という方法。多様と大小がたて込むこの国を考察した松岡正剛得意の一巻。

第1章 東風の記憶
  日本文化の多くは、アジアからやってきた。けれど、漢字からは仮名を、『正名と狂言』からは武士道と禅・俳諧を、日本は編集を加えて創り出していった。その素地となった孔子・老子・荘子・墨子を、キムチとお新香の差を眺望する章。
第2章 多神多変日本列島
  大陸からの渡来民族は、倭の先住民族を傘下に敷いた。大和朝廷が、天皇が誕生し、オオクニヌシや卑弥呼は葬られた。それでも、郷には鬼が春を告げ、ゑびすは海の幸を守る。政権は交替しても、神権が消え去ることはない。
第3章 和光同塵
  アマテラスが制した大和に、きらぎらしい蕃神がやって来た。かたちを持つ「仏」がたちまち普及していく中で、寺の建つ土地の神を鎮めようと、神宮寺が置かれる。さらに古々しき神の庇護を得ようと、各地で祭が伝承される。和光同塵。日本はすべてが光の中に溶けあう。が、そこにはつねに異質のもの、固陋なものも混じっていた。大林太良、宮本常一、網野善彦、宮田登を案内する。
第4章 仮託と遊行の記
  男は仮名など使わぬもの、人は持って生まれた分を越えぬもの。身分と境界が生じたから、人は他のものになりたくなる。男だから、ひらかなを用い女を装って綴る『土佐日記』。都から伝わってきたから、使いたくなる罵りの言葉。唐木順三、保田與重郎、堀田善衛をたっぷりどうぞ。
第5章 武家と忍びと俳諧師
  戦国時代を経て太平の世を迎え、身分制度は揺るがぬものになっていく。仕官の道を失くした宮本武蔵は、諸国で武者修行して『五輪書』を記す。士分と家を棄てた松尾芭蕉は、各地を遊んで『奥のほそ道』を遺した。武家になりたくてした「仮託」。武家であるからした「仮託」。
第6章 水滸伝から八犬伝へ
  1644年の明の滅亡は、徳川幕府に大きな打撃を与えた。林羅山の知を借り天海が画策した『徳川イデオロギー』が根源から崩れたのだ。基盤も定まらぬまま国を閉ざした日本に現れたのが『朱舜水』である。日本乞師舜水が体現した「知行合一」の教えは、多くの識者を動かした。国を憂え、在野の英雄が起ちあがる『水滸伝』は、『南総里見八犬伝』にかたちを変えて、民にも浸透する。革命思想「陽明学」は、こうして日本に根を下ろした。
第7章 「やまとごころ」の議論
  中国思想が浸透する中で、『からごころ(漢意)』を借りていては、日本の本来に至れないのではないかと考える人々が現れた。契沖を祖とし、真淵を経て『本居宣長』に至った国学者たちである。宣長は、古言(ふること)だけをもって日本の源に迫ろうと、35年をかけ、『古事記伝』を執筆する。それが後の『水戸イデオロギー』に森閑たる影響を与えるとは思いもよらず。
第8章 鹿鳴館と国民之友
  1854年アメリカに迫られて『開国』し、1867年に大政奉還を果たした日本は、押し寄せる西洋文明に目を見張った。列強に追いつこうと、官・民志をあわせ、富国強兵への疾走が始まる。東京の街には洋館が建ち並び、それに習った大工達の「擬洋風」の建築が地方に波及した。鹿鳴館では夜毎舞踏会が催され、その奥で天皇を「玉」にいただく立憲制が急がれる。維新は、志士たちが目指した王政復古と言えるだろうか。福澤諭吉と徳富蘇峰から問われるのである。
第9章 二つのJのはざま
  文明だけが発展していく日本で、その本来と将来を真剣に考える人々がいた。『夜明け前』を世に問うた島崎藤村、『代表的日本人』に宗教の真髄を求めた内村鑑三、神の愛と『武士道』を結びつけた新渡戸稲造らだ。彼らはいずれもキリスト教者である。近代日本の精神面を育んだのは、JapanとJesus、二つの「J」の間で苦悩した敬虔な宗教者たちだった。そこに、天心、鷗外、四迷が沈潜した。
第10章 美は乱調にあり
  急速すぎる国力の増強は、国の内外にさまざまな軋轢を生み出していく。伊藤博文が射殺され、幸徳秋水が刑死する。原敬が暗殺され大杉栄が虐殺される。『乱の王女』川島芳子が暗躍する中国では反日運動が高じていく。迫り来る戦争の声を聞きながら、北一輝の読経が響き、『虹のトロツキー』が煌く。
第11章 野火と黒い雨
  第二次大戦は、日本に初めての敗戦をもたらした。それでも、それは、久しく失っていた言論の自由の復帰でもあった。難破した徴用船の乗組員が餓えに迫られて人肉を口にする竹田泰淳の『ひかりごけ』。原爆とその後遺症を淡々と語った井伏鱒二の『黒い雨』。占領下、ローマ字化されようとする国語を守って戦う井上ひさしの『東京セブンローズ』。戦争の意味は戦後が引き継いだ。
第12章 アンビヴァレント・モダーンズ
  「戦後」が終わり自治を回復しても、日本は自国の方法を取り戻せなかった。中川善之助が『民法風土記』で解いたように、かつての日本は、気候や風土、それぞれの立場にあわせて、やわらかく小さなルール作り出していた。それを思い出す間もなく、復興と西欧大衆主義に向けてひた走り、やがては「経済大国」という異胎に陥る。「真水」によって、『この国のかたち』が蘇るのはいつだろうか。鶴見俊輔、竹内好、吉本隆明、江藤淳、西部邁、山口昌男、柄谷行人、野坂昭如、姜尚中がずらり連打されていく。

●第6巻 茶碗とピアノと山水屏風
「道具」と「アート」の関係を遊ぶ巻。

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第1章 余白の水暈墨章
  「墨に五彩あり」。中国で生まれたモノクロームの芸術、水墨画と書は、日本で独自の途をたどった。悠々たる「三遠」は、等伯の『松林図屏風』に切り取られ、余白に無常のうつろいを見せる。滔々たる『蘭亭序』は、篠田桃紅の『月』の一字に凝縮され、昔日の光を皓々とたたえる。八大山人から井上有一まで、岸田劉生から川端龍子まで。
第2章 棟梁たちのルネサンス
  建築は『ゲニウス・ロキ』。それぞれの土地がもつ固有の雰囲気・様相に合ったものでなくてはならない。西欧が天に聳える石造の『ゴシック』様式の教会を造ったように、日本では、雨の多い気候に合わせ、『てりむくり』をつけた寺社の軒屋根が生まれた。風土に添い、技を磨いた匠たちの世界。
第3章 刀と器と草の庭
  禅僧が伝えた茶の湯は、同朋衆が目利きする唐物茶礼に発達し、珠光・紹鴎の侘び茶へ深化した。さらに利休・織部へと、時代がうつるにつれ、その周辺では、建築・作庭の作事、器・料理・花・書画・刀剣の作分が次々に発展していく。草庵から日本文化の基礎が誕生する次第を、『南方録』、柳宗悦、河井寛次郎、青山二郎、八木一夫らを通して追う。
第4章 秘すれば舞姫
  世阿弥が『風姿花伝』を記してより、舞踊は秘伝をもち、系統をつくった。江戸時代に伝来した三味線の音に乗って、文楽が、歌舞伎が、舞が、稀代の作者と名手を得て、芸を昇華させていく。現代、ニジンスキーが近代バレエを創始し、土方巽が暗黒舞踏を広め、ピナ・バウシュが「体の会話」を放ち出した。新しい秘伝が始まる。とくに近松門左衛門を詳細に説いた1章。
第5章 「型」と「いき」の寄席
  演芸界・花柳界も、名人を輩出した。円朝は『真景累ケ淵』などの怪談噺で一世を風靡し、桂文楽は『あばらかべっそん』で客を抱腹絶倒させる。座敷では、幇間衆が絶妙に間をとりもった。どんなに新規なことを創ろうと、基盤には伝統に培われた「型」があった。その「型」を苦界の遊女が受けた時、九鬼周造の「粋」が生まれる。
第6章 津軽にパンソリ
  日本の音楽は、呂・律の二拍子と、それをつなぐ「間」から成る。その間拍子にのせて、のばした声を母音に置き換え、何度も揺り返すのが『日本人の鳴き声』である。各地に伝わる民謡、明治の文人たちを熱狂させた小唄や端唄は、いまもJ-ポップに息づいている。一方、隣国で唄い継がれた『パンソリ』や『アリラン』からは、民族の慟哭が響いてくる。
第7章 指揮棒とロックンロール
  西洋音楽は、アジアのそれと比べて、構築的かつ演出的に発達した。16世紀には、オーケストラとオペラが発祥し、イタリアでは去勢された『カストラート』が天上の声を振り絞った。時代が下るにつれ、ハーレムの黒人の唄うジャズが巷を席巻する。ロックン・ロールが鳴り響く。『草枕』を抱えたグレン・グールドがバッハを弾きこなし、武満徹が『ノーヴェンバー・ステップ』に尺八を入れる。
第8章 タブローと背景
  西洋で絵画が独立したのは17世紀である。それまでは室内全体を覆う壁画や天井画であったのを、その一部を切り取った「タブロー」として、自立した。以後絵画は飛躍的に発達する。暗い北イタリアのデルフトで、点綴したやわらかな光を画面にあふれさせた『フェルメール』。「性」に関する学芸が汪溢する古都ウィーンで、エロティックな自画像を数多く描いた『エゴン・シーレ』。絵画の変遷と、その背景を描いた著作を、クレー、キリコ、ダリ、バルテュス、オキーフに歩んで列挙する。が、中核はジャコメッティなのだ。
第9章 烏口とレンズ
  帝国ホテルを構築したライト。ラ・トゥーレット修道院を出現させたル・コルビジェ。インテリアデザインにメッセージと歴史を込めたソットサスと内田繁。自分の撮りたいものだけを撮り続けたフェリーニやキューブリック、土門拳やメイプルソープの写真家たち。世評に媚びることなく、表現に挑み続けた職人気質のアーティストを追った1章。
第10章 伝統と実験のあと
  抽象表現やポップアート、反芸術主義などが、『日本の現代美術』に溢れ出した。それは、一方で伝統芸術への固執を、あるいはその放棄を呼ぶ。日米の血をひくイサム・ノグチは、自分の中にある「日本」を体得できないことに苦悩した。美しい残像を求めて祖谷に住んだアレックス・カーは、日本に見切りをつけて、ミャンマーに去っていった。東と西の間に美を求めた人々を綴る。

●第7巻 男と女の資本主義
エロスと市場の意外な関係に斬り込む。

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第1章 和泉式部とボヴァリー夫人
  洋の東西を問わず、女性たちは理想の男性を追い求める。浮名を流しながら、早逝した唯一人を偲び続けた和泉式部。添うた相手がそれでないと知り、姦通する『ボヴァリー夫人』。夫にも人生にも絶望するジャンヌの『女の一生』。不服もないが、いても欲しくない夫と別れる『アンナ・カレーニナ』と、夫を毒殺しようとする『テレーズ・ディスケルゥ』。女性の美意識の熾烈さを浮き彫りにする名作たち。
第2章 美しい志操
  制度と風習に固まった日本で、美しい志操と強い思想に徹して生きた女性たちもいた。夫と子の亡きあと、鎌倉幕府を護った『北条政子』。信仰と貞操を貫き通した『細川ガラシャ夫人』。政商の間を豪快にとりもった『横浜富貴楼お倉』。オーストリアと日本の架け橋になったクーデンホーフ光子。女が描いた「をんな」たちは、凛と張った意気地がいずれも清清しい。松岡はとりわけ長谷川時雨と野上弥生子を賞賛する。
第3章 女の鼻息・男の溜息
  この章は、井原西鶴と尾崎紅葉でスタートする。そこへ、勝海舟、山岡鉄舟たちが国を憂え道を究めようとし、宇野千代や森茉莉ら、女たちが恋を謳歌し美意識を育む。題して『女のはないき・男のためいき』。男と女はいつだって絡みあうけれど、いつまでも解りあえない。
第4章 佳日の市場
  都と里と山、認証と喜捨と祈祷。必要不可欠なものの交換から経済は誕生した。その交換の場が「市場」である。やがて、物々交換は金銭による売買に換わる。ゾンバルトや一馬が著したように、必需品でもないものが商品になって女心をくすぐるのは西洋も日本も同じだ。貨幣が紙幣に替わった明治時代、傑出した創業者が名を連ねる。女も男もマーケットが育てた。
第5章 過激なエロス
  確立した経済と制度の社会に、どうしても収まりきれない者もいる。サディズムやマゾヒズム、ホモ・セクシャルとレズビアン。リラダン、コクトー、ヘンリー・ミラー、ワイルドやジャン・ジュネは、当初は忌避されても、やがて社会に地位を得た。現代、『エロス的文明』は経済の一角を荷う。バロウズ、クロソウスキー、ナボコフ、ジャーマン。市場の奥にあるリビドーをめぐる。
第6章 いちいちの修羅
  文学が生まれるには、それぞれの背景がある。父親への反発が嵩じて『反骨の系譜』を書いた青地晨。日本の非暴力の伝統を伝えようとした花田清輝の『もう一つの修羅』。文学は犯罪であると意識し続けた安部公房の『砂の女』。父なるものの空しさを暴いた三島由紀夫の『絹と名刹』。生まれ育った貧しい漁村の血の蟠りを描きたかった中上健次の『枯木灘』。名作はそれぞれの作者の修羅を背負っている。
第7章 悪所と風俗
  かつて『吉原と島原』が置かれ、博徒が土地を追われたように、悪所と悪党、「性」と無法の場所は限られていた。現在、『風俗の人たち』と一般人の区別はつかず、職場の上司はいつセクハラの加害者になるかわからない。悪は矜持と場(トポス)を失って、下落し、蔓延する。松岡がつねに大切に扱ってきたサブカルチャー歴史論。
第8章 アヴァン・ポツプに
  行き場のないリビドーは、さまざまな方向へ飛躍する。マフィアの伝説、ハードボイルド、体を張ったルポルタージュ、芸能人が書くエッセイや小説。いずれの作品にも仮想的美化はない。表現の過激さはあっても現実を赤裸々に描いている。ギンズバークから町田康まで、セパレートリアリティが疾駆する。
第9章 銀幕とグラウンド
  仮想は、映画とスポーツの中に生き続ける。身体を改造した『ディートリッヒの自伝』、孤独とお色気を振りまいて逝った『マリリン・モンローの真実』。悲哀を笑い飛ばし謳いあげた、お笑い芸人と歌手、ゲームをドラマに昇華させたコラムニストたちの記録。ここは、森繁久弥、三輪明宏、三木のり平たちがいて賑やかだ。
第10章 ジェンダー/コミック
  イリガライやハラウェイのジェンダー論が、日本で取り上げられたのは遅かった。上野千鶴子が先鋒となるこの論議は、いまこそ深化させられるべきだ。他方、矢川澄子の『反少女の灰皿』や松浦理英子の『ナチュラル・ウーマン』には、ひっそりと毅然たる主張がちりばめられていた。反対に、当初から日本が他国を圧倒していたのがコミックである。『火の鳥』が神話を創り、『カムイ伝』が陰の日本史を語る。つげ義春『ねじ式・赤い花』の行き場のない崩落感、杉浦日向子『百物語』の「あはれ」を含む底知れなさ。共通するのは、劇画だけが描けるエロスだ。松岡は大友克洋の『AKIRA』にぞっこんだ。
第11章 国家の行方
  最近、『日本人の品格』だの、『愛国心』だのという本が出回っている。金融経済が崩壊し、会社も社会もあてにならぬ現代、揺るがぬものを求めるのは解らないでもないが、それは間違っていると松岡は言う。『千夜千冊』最後の一夜『海上の道』に記された通り、元々日本人の祖先は、宝貝を求めて海を渡り、豊かな天水による稲の栽培に惹かれて住みついたのだ。時により、場に合わせ、やわらかに変えていくのが日本の方法である。日本の行方は、ひとえに、その方法の再発見にかかっている。

●特別巻 書物たちの記譜
  松岡の読書論、読書歴を披露する特別篇。『千夜千冊』の読書に関する言葉を抜き出した「読書術」と、誕生から現在に至るまでの「年譜」の、膨大な量と詳細な記述に圧倒される。

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その3へつづく。

編集工学研究所 CORE  堀江久子)

2006年10月14日[千夜千冊という事件]
人と読書を結ぶ本
〜千夜千冊刊行記念 特別講演 『六年千冊七巻仕立』その1

  9月30日土曜日、『千夜千冊』の刊行を記念し、松岡正剛の特別講演『六年千冊七巻仕立』が紀伊国屋ホールで開催された。週末の新宿の喧騒をよそに、400席の会場を埋めた聴衆は、静まりかえって開始を待つ。ステージ上のスクリーンに映し出されるのは、赤のグラデーションが匂いたつ『千夜千冊』全七巻の背表紙。編集・出版・刊行に至るまでの作業全般を担当した求龍堂の鎌田理恵子氏の挨拶で、講演は始まった。

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■WEBから書物へ
  毎夜1冊の本を、WEB上で、千夜にわたって紹介する。松岡が『千夜千冊』を思いたったのは2000年の早春だった。1人の著者を2度採りあげることはしない。1人の著者につき1冊しか紹介しない。ジャンルを限らない。同じ書き方を繰り返さない。
  厳しいルールを自らに課した千冊の回峰行は、第1夜の中谷宇吉郎『雪』から始まり、4年後の七夕の夜に『良寛全集』で千夜を迎えた。2004年7月24日、原宿のクエストホールで千夜達成パーティーが開かれ、書籍化の企画が持ち上がった矢先に、松岡は癌を宣告される。それでも、早期発見であったことが幸いし、9月3日の手術を無事終えて、10月1日には早くもWEB上に復活。年が改まると同時に、企画は急速に再開された。
  「そこからが大変でした」。『千夜千冊』の略歴を語り終えた鎌田氏は言う。「WEBとはいえ、既に文字になっているものなんだから、本にするのは簡単だろうと思っていたんです。ところが」
WEBでは横書きだった文章が、縦書きになると語感も読後感もことごとく変わる。漢字の配置や改行も、そのままでは使えない。さらに部立(ぶだて)に入ると、どうしてもつながらない隙間、足らない本が次々に出てきた。「校閲と索引、求龍堂内に結成された各チームと松岡さんとの死闘のような作業でした」。
  WEBに掲載された文章を50パーセント以上書き直し、144冊を書き足し、2年をかけて全集『千夜千冊』はやっと勢ぞろいした。本と、本を読むことに6年間向きあって生まれた全7巻プラス1巻の大全。部立の構成、一章ごとの見出しに籠めた思いを語りつつ、松岡のナビゲーションによる高速のブックコスモスツアーが始まった。(つづく)。

編集工学研究所 CORE 堀江久子

『千夜千冊』に編集の極意をみる
〜当サイトで“千夜千冊という事件”の連載開始!

 6年を経て、月間160万アクセスの人気サイトとなったネット版『千夜千冊』。この10月10日には、求龍堂から待望の『千夜千冊全集』が発刊されました。7巻立の赤い冊子を手にして、すでに眠れない日々となっている方も多いのでは。
 この全集の発刊を期に、 「いと・へん」では“千夜千冊という事件”を連載します。過去にお届けしてきたイベントや特集の記録を再度紹介したり、数々のエピソード、読み方・辿り方などのアドバイス、すでに届き始めた巷での評判や読者の声も含め、『千夜千冊』に関するあらゆるデータをストレージしていきます。
→「千夜千冊という事件」

 最初に、9月30日、新宿・紀伊国屋ホールで開催された刊行記念講演『六年千冊七巻仕立』のレポートを、3回にわたりお届けします。全集7巻全頁に映し出された壮大なブックコスモスの魅力を高速でお楽しみください。

「いと・へん」編集長 田中晶子

2006年10月10日[Edit School News]
第一回「ミメコン」受賞者発表!

およそ一ヶ月半にわたって開催されたISIS編集学校主催、第一回「全国 ミメロギア投稿コンテスト」の全受賞者が同ホームページ上で発表されました。
 →「ミメコン」ホームページ

「全国 ミメロギア投稿コンテスト」、通称「ミメコン」では、ISIS編集学校入門篇[守]のカリキュラムのなかでお馴染みのイメージ対比ゲーム、「ミメロギア」をより多くの方々に楽しんでいただくことを目指し、季節の風物や話題のモノや歴史上の人物にまつわる計12題、およびスポンサーからのお題2題に対する投稿をインターネット上で広く募集しました。

8月の1日から9月14日までの45日間、当初の予想を上回る程の回答数と反響をいただきました。力作、魂作、名作、迷作、の数々。シンプルなお題から拡張していく多様なイメージのコスモスは、編集的な方法のもつゲーム性と奥深さ、果てしない可能性を感じさせるものでした。
 
全4幕、12題のお題を通して、とくに優れた成果を残した以下の3名が大賞、および次点(準大賞)の受賞者として表彰されます。


第一回「ミメロギア大賞」受賞者

 マサばぁさん
 (金2・松2・竹1 総獲得点41ポイント)

同 次点受賞者

 球一さん
 (金2・竹3 総獲得点35ポイント)
 yamatabiさん
 (金1・松1・竹3 総獲得点33ポイント)


大賞受賞者には、今月に刊行したばかりの松岡正剛著『千夜千冊全集』が贈られ、次席には松岡正剛が千夜千冊の創作の秘密を語る図解冊子『千夜千冊控帖』が贈られます。

また、上記受賞者に加え、遠い中国の地、雲南から真摯な「ミメコン」熱中ぶりを発揮した、つっちー@雲南さんに「特別賞」として、次席同様、『千夜千冊控帖』が贈られます。

一般公募も含めたコンテストとしては、ISIS編集学校で初となった今回の「ミメコン」。見慣れた日常をより機知的に、よりいたずらに再編集するこのゲームを、もっと世の中に広めていきたい! 松岡正剛流編集術のひとつの集大成でもあるこの方法的ゲームが、これからも多くの人々の生活に小さなマジックを起こしてくれることを審査員団、およびISIS編集学校スタッフ一同、期待しております。

  

2006年10月07日[Edit School News]
「編集思考素」でidea hacks!
『日経アソシエ』でビジネスに使える編集術をお披露目!

『IDEA HACKS!』がヒット中の、原尻淳一氏(エイベックス・エンタテイメント・「へんしんアルゴ教室」師範代)と小山龍介氏(松竹インターネット・「複眼ノマド教室」師範代)のお二人が、若手ビジネスパーソン向けの雑誌で、ISIS編集学校の編集術を紹介しています。“知識や常識を組み替える 発想を形にする「空欄のカ」 ”(20P)で〔守〕コースの編集稽古でおなじみの「5つの編集思考素」を、“「仮説」を発見する トレンドを先読みし戦略を立案”(24P)で、〔破〕コースで学ぶ「クロニクル編集術」をつかった、とっておきのビジネス手法を伝授。うーん、やっぱり使える!ぜひご一読を。
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『日経ビジネスアソシエ』
[2006年10月17日号 no.106 定価550円(税込み) 10月3日発売]

(ISIS編集学校 広報)

2006年10月04日[なるほど用語集]
ISIS編集学校*なるほど用語集
〜その7「校長講義」

 ISIS編集学校オリジナル用語解説、第7弾です。師範・師範代の研鑽会「伝習座」で行われる松岡校長のリアル指南「校長講義」についてご紹介します。

「校長講義」:師範・師範代が集まって、指南方法に関する学習・相談を交わす「伝習座」は、[守][破]の開講中、2度ずつ開かれます。毎回、プログラムの最後に行なわれるのが「校長講義」。折々の稽古の課程に合わせ、迷っていた方向に光をあててくれるような講義に、「伝習座は、これが楽しみで」という人も少なくありません。
 いつもなら『千夜千冊』から選んだ2、3冊をテキストにして講義が行なわれるのですが、9月9日、10日に開かれた15期[守]・14期[破]の伝習座は、ちょっと様子が違いました。10月初旬に出版される『千夜千冊全集』の部立集が配布され、第3巻の部立がテキストとして採りあげられたのです。その名も「脳と心の編集学校」。779夜の『はじめちょろちょろ なかぱっぱ』から始まって、981夜の『かたち誕生』まで、10章のテーマに分類された154冊を、校長が1冊ずつ解説していきます。解説の前に、ひとりずつ指名してテキストを音読させるのは、校長が特に大切にしているカリキュラム。「理解していないことは、決して声に出しては読めないものなんだよ」。師範・師範代、学匠・スタッフの別なく指名され、言葉というもの、書物へというものへの取り組みの深さが試されるような思いです。
 90分の講義予定は大幅に延びて、2時間を上回りました。受講者の顔は皆上気して、授けられたばかりの知を、教室にどう分け与えようかと、楽しい思案がふくらんでいるようです。

(編集工学研究所CORE 堀江 久子 )

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第五回全国ミメロギア投稿コンテスト(ミメコン)

松岡正剛のセイゴオちゃんねる イシス編集学校[破]アリスとテレス賞
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