千夜千冊クロニクル (前編)
〜第1夜『雪』から第500夜『エクリ』まで
2006年5月22日をもって、6年3ヶ月間・1144夜にわたる「松岡正剛の千夜千冊」第1期放埓篇が完了した。その軌跡の断片をごく少々追って、長期間の松岡の孤独な戦いに伴走したスタッフに話を聞いてみた。外側からは見えなかった、知られざるエピソードも交えながら、ここで改めて駆け足で振り返ってみることにする。
◆『雪は天から送られた手紙である』〜千夜千冊スタート
「千夜千冊」は、編集工学研究所のインターネット知財市場創出実験「ISIS編集の国」の立ち上げとほぼ同時に開始された。「ISIS」の中で、毎日更新するコンテンツが必要ではないかというスタッフの提案がきっかけだったことは、松岡自身も語っている。(資生堂名誉会長・福原義春氏との特別対談を参照)
ただし、それ以外の動機もあったと、のちに松岡は述懐している。
一方で、自分がそれまでなんとなく「やばい」と感じていたことに、襟を正して向き合いたいという潜在的な思いがあったように思う。
職業柄、原稿や講演の依頼をよくいただく。そういう立場に引っ張られると、自分がかつて書いたことのうえにあぐらをかいてしまいがちになる。これは危険なことだ。(中略)自分はなにか思い上がっているのではないか──その思い上がりの正体をつきとめ、解剖し、捨てる作業をしたかった。(『プレジデント』2004年8月30日号)
かくして2000年2月23日、第1夜中谷宇吉郎『雪』がインターネット上に出現した。「雪は天から送られた手紙である」という有名な一節に託すように、これから千夜にわたって読書案内の雪を降らせ続けることになる。
◆21世紀への「夜明け前」
初期の文章は、最近のものに較べればまだ短く、日に4〜5本書き溜めておいたものを、順次スタッフがアップしていくこともあった。当時松岡は帝塚山学院大学の教授を務めていて、週に1回大阪と東京を往復する生活を送っていたという事情もあったようだ。
また、2000年6月には ISIS編集学校 が開校し、その忙しさも加わった。が、それもただちに「千夜千冊」に反映されていく。“編集稽古の原典”と絶賛した第138夜レイモン・クノー『文体練習』は、編集学校の問題制作にも大きく活用された。
ちなみに、「千夜千冊」のスタート時は、告知もしていなかったためか、アクセス数は月間30〜40程度であった。しかしすでにこの頃からコアなファンも何人かいて、取り上げられた本を全て集めようと試みていた。この時期で一番入手が困難だった本は、第140夜ルネ・ユイグ『かたちと力』という意見で一致しているそうである。
「ぼくは20世紀をかなりの不満をもって終えようとしている」と述べた、第196夜島崎藤村『夜明け前』は、400字詰原稿用紙24枚分にあたる大作となった。その20世紀最後にあたる「千夜千冊」第202夜は、『ゲバラ日記』。2004年に公開された映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』で主人公となった革命家チェ・ゲバラの、最期の壮絶な闘争記録で締めた。
◆「千夜千冊」開始後、初の誕生日
第216夜ミュージックライフ編『ロックの伝道者』がアップされたのは2001年1月25日、松岡正剛57歳の誕生日であった。
この日、スタッフは「松岡正剛百人一冊カルタ」なるプレゼントを贈った。読み札に「千夜千冊」の書名と前半の一節が、取り札には後半の一節が書かれている。つまり、「千夜千冊」の全文の内容を記憶しておかないと取れないので、難易度は甚だ高い。社内でカルタ大会を行ったとき、読み手になった松岡が、取った札が正しいのか判定に迷うことも二三あったらしい。このカルタは市販の百人一首カルタに、書籍の表紙画像と抜き出した一節をデザインしたカラー出力紙を貼り付けて作ったものなので、札を凝視すると後鳥羽院や蝉丸が透けて見えるところがまたおもしろい。7月7日から千鳥ヶ淵のギャラリー「册」でおこなわれる「松岡正剛・千夜千冊展」には出品されるらしいので、おたのしみに。

スタッフ手作りの百人一冊カルタ
5月25日にハーマン・メルヴィル『白鯨』で第300夜、10月17日に夢野久作『ドグラ・マグラ』で第400夜に到達。順調に進んできたようにみえるが、この頃から「食べ物と同じで、その日の体調に合わないとつらい」と、徐々に書き続けることの大変さを感じるようになったという。
◆祝500冊達成・記念イベント開催
「ぼくの編集精神の原点にあるもののうちの、そのなかでも最もフラジャイルで、かつ“マイナスの哲学”に富んだ一冊」。2002年3月19日、悩みに悩んで選んだアルベルト・ジャコメッティの『エクリ』でもって、ついに500夜を達成。
その夜はスタッフ一同でお祝いをした。アルコールの全くダメな松岡にも、この日ばかりはワインを勧め、なんと『エクリ』をインターネット上にアップする特製ボタンまで作成。第500夜は、そのボタンを押した松岡自身の手によって公開されたのである。
3月26日には500冊記念トークイベント「一人一冊」を、東京・銀座のソミドホール(ソニービル)で開催した。150席の会場に、「千夜千冊」に取り上げられた本の著者を初めとする400人を越す人々が続々訪れ、立ち見の出る大盛況となった。井上ひさし、坂田明、浅葉克己、大澤真幸さんらも駆けつけた。

大盛況となった松岡正剛記念トークイベント
また、58歳の誕生日に取り上げた第464夜『虫をたおすキノコ』の著者であり、松岡の小学校の恩師でもある吉見昭一さんからも手紙が届いた。
「目を閉じる。脳裏の底に写る強力な弾力のある松岡君。四十年を超えて、その表情が見える。一人一人の違った特性が日々の力だった。折り返し500回の読書人の貴方からすごい勇気と誠実をもらい、感謝を言いたい。祝詞して讃え、うれしさに心満ちて、きのこを追って若い私も歩き続けていこう。ありがとう。がんばろう。」
熱いメッセージを残し、数ヶ月後に吉見さんは逝去された。
「千日回峰では500日までは自分のための行です。500日を超えると他人のための行に入るといいます」。
松岡はトークショーで、比叡山の荒行・千日回峰に擬えてこう語った。500夜を終えて、平均すると400字詰め原稿用紙で10枚以上にもなる執筆量。まさに修行というにふさわしいが、この先の「他人のための行」はさらに熾烈なものとなることを、そのとき誰が予期していただろうか。(つづく)

500冊達成を伝える新聞記事
(2002年3月18日 朝日新聞 大阪版)
(編集工学研究所GEAR 興梠証 editor)